心霊スポットという言葉を聞くと、怖いのに少し惹かれます。
怖いのに、行けてしまう。怖いのに、戻ってこられる前提がある。
だから私は、ある時からこう考えるようになりました。
心霊スポットは、「安全だ」という前提があるから成立しているのではないか、と。
霊がいるか、いないか。信じるか、信じないか。
そこは実は、あまり関係がありません。
成立しているのは、“遊べる怖さ”だからです。
もし本当に、100%の確率で命に危険が及ぶ場所なら。
もし本当に、行った人が必ず呪われる場所なら。
それは「スポット」にならないと思うのです。
話題になる前に消えていく。
あるいは、人が自然に寄りつかなくなる。
怖いもの見たさも、度胸試しも、
結局は「日常へ戻れる」前提があるから成立します。
では、もし呪いのようなものが本当にあるなら?
私はむしろ、もっと分かりにくい形になる気がします。
その場で派手に起きるのではなく、忘れた頃に。
いちばん不安になりたくないタイミングで。
嫌な形で、じわじわと続く。
怖さとは、派手な現象よりも、日常に溶けるほうが厄介です。
だからこそ、心霊スポットの怖さは、どこか「分かりやすい怖さ」にも見えます。
それに、本当に怖いものは世の中にいくらでもあります。
もし度胸試しという言葉を本気で使うなら、試されるのは幽霊耐性ではなく、現実の熱狂や集団心理の圧力に対する耐性かもしれません。
霊よりも、人の信念が暴走する瞬間のほうが、静かに危険です。
熱狂が集まる場所。怒りが伝染する空気。
誰かを正義として持ち上げ、別の誰かを敵として燃やす流れ。
そういう怖さは、暗い場所ではなく、明るい場所にも普通にあります。
賑やかな場所にも、生活のすぐ隣にも。
そしてもうひとつ。
もし霊が存在するなら、人間だけのものとは限りません。
鳥にも、昆虫にも、ミミズにも、あるかもしれない。
そう考えると、この世は最初から“満員”です。
心霊スポットだけが特別なはずがない。
それでも私たちが「ここは出やすい」と感じるのは、
暗さや静けさや古さが、想像力を起動させるからです。
暗いから怖いのか。
怖いと思いたいから暗いのか。
人は、見えないものに形を与えるのが得意です。
そして一度形ができると、怖さは“確認作業”になります。
だから私は、心霊スポットが怖いというより、
心霊スポットが成立してしまう人間の心理のほうに、静かな怖さを感じます。
怖いものに興味がある。
でも本当に壊れる怖さには近寄らない。
その矛盾を抱えたまま、私たちは「安全圏の怖さ」を選んでいるのかもしれません。
そして、その安全圏があること自体が、
人間が自分を守るための知恵なのだと思います。