抜け道をめぐる思考遊戯。
カオリは、前日のアクセス解析をもう一度だけ見てしまった。
伸びている。ほんの少しだけ、伸びている。
その“少し”が、妙に甘かった。
報われた気がした。努力が形になった気がした。
——そして同時に、怖かった。
夕方、またメールが届いた。
件名は、「性行為の抜け道」。
プレビューには、短い一行。
「次は、もっと早い。」
カオリの指が止まった。
胸の奥が、冷えるのを感じた。
言葉はただの文字なのに、どこか体温がある。
「……やめとこう」
そう思った。
でも、思っただけだった。
カオリは、人と直接つながらない。
だから、匿名の言葉は厄介だった。
誰かの顔が見えないぶん、拒絶もしにくい。
開いた。
「カオリさん。あなたは、入口を作れた。
次は、人が“覗きたくなる入口”を作れ。
性行為——その言葉に抵抗があるなら、こう言い換えればいい。
親密さ。孤独。承認。自己肯定。
人は“答え”より、禁じられた問いに集まる。
そこに、あなたの得意なメンタルヘルスを重ねろ。
タイトルは強く。
中身は丁寧に。
そして最後に、読者が自分を疑う問いを置け。
成功を祈っています。
匿名」
読み終えた瞬間、カオリは目を伏せた。
正しい。
腹が立つほど、正しい。
——でも、私は何を書いてるんだ?
性行為そのものを書けと言われているわけじゃない。
“親密さ”の話にしていい、と書いてある。
ちゃんと役に立つ記事にすればいい。
誰かの悩みに寄り添えるなら、むしろ善いことだ。
そうやって、頭はすぐに正当化を作り始めた。
カオリはノートを開いた。
タイトル案が、勝手に出てくる。
「親密さが怖い人へ」
「欲望と自己嫌悪の距離」
「孤独が“近さ”を歪める」
書ける。
書けてしまう。
それが、いちばん怖かった。
翌朝、カオリは一つの妥協に辿り着いた。
“書かない”のではなく、“使う”。
記事タイトルは、あえてこうした。
「性行為の抜け道」
そして本文は、性行為の話ではなかった。
“抜け道”の話だった。
人は、苦しいときほど、抜け道を探す。
稼げないときほど、抜け道を探す。
孤独なときほど、抜け道を探す。
そして抜け道は、たいてい一見、近道に見える。
でも、近道に見えるほど、戻れなくなる。
カオリは、最後に問いを置いた。
「あなたが今探している抜け道は、誰が用意したものですか?」
公開した瞬間から、反応は割れた。
称賛と罵倒が、同じ熱量で押し寄せた。
「内容が真面目で安心した」
「釣りじゃん」
「こういうの待ってた」
「汚い」
アクセスは跳ねた。
AdSenseの数字も、目に見えて動いた。
カオリは、勝った気がした。
“私は汚れずに、入口だけ借りた”——そう思いたかった。
だが、コメントの一つが刺さった。
「タイトルだけで来た。本文は読んでない。
でも、こういうタイトルが増えるなら、もう戻らない」
カオリは、画面を閉じた。
勝ったのに、負けた気がした。
——入口を借りただけのつもりが、
入口に自分が借りられている。
その夜、またメールが届いた。
件名は、「興行収入のヒット」。
プレビューには、こうある。
「次は、“あなたが正しいまま伸びる”方法だ。」
カオリは笑いそうになった。
正しいまま伸びる。
そんな都合のいいものがあるなら、最初から誰も苦しまない。
なのに、指が動いた。
―――――
この話の“抜け道”は、性行為ではない。
「言葉で、注意を盗む抜け道」だ。
怖いのは、汚れたテーマじゃない。
怖いのは、“一度だけなら”という自分の声が、
翌日には“次もいける”に変わっていること。
あなたが守るつもりで開いた入口は、いつの間にか、あなたを外側へ押し出してはいないだろうか。
次回:「興行収入のヒット」