法の内側では無罪を言い渡し、法の外側では自ら手を下す裁判長は、「悪が悪を裁く」ことの是非をどこまで自覚しているのか──そんな境界線を探る思考遊戯。
Aは裁判長だった。
経歴は華やかで、世間から見れば順風満帆な人生だ。
冷静で、公正で、信頼できる司法の象徴として扱われていた。
──表向きは。
Aには、幼い頃から誰にも言えない悩みがあった。
人を殺さずにはいられない。
その衝動が、自分の中に確かにあることを、Aはよく知っていた。
自分が、生まれつきのシリアルキラーであることも。
とはいえ、Aは「誰でもいいから殺したい」というわけではなかった。
むしろ、自分が「悪」であることを誰よりも理解しているがゆえに、
殺す相手を選ぶときには、恐ろしく慎重だった。
裁判官としての豊富な知識と経験を総動員し、
ターゲットに選ぶのは、ただ一種類の人間だけに決めていた。
裁判では裁けなかった冷酷な殺人者。
証拠不十分。
合法的な抜け道。
権力による圧力。
金による示談。
あらゆる手段で罪をすり抜け、
堂々と法廷を後にする人間たち。
野放しにしておけば、
何人もの人間を不幸に追いやるだろうと分かっていても、
裁判長としてのAは、法律に従って
「無罪」を言い渡さなければならないときがあった。
判決文を読み上げるたび、
胸の奥で何かが静かに燃え上がる。
「この男は、ここで裁かれるべきだった」
それでもAは、職務をまっとうする。
判決を告げ、槌を打つ。
法廷では、冷静で公正な裁判長として振る舞う。
──そして、夜になる。
Aは、その日「救われた」被告人の素性を、
誰よりも詳しく把握している裁判長として、
別の顔を起動させるのだった。
どんな悪人であれ、
自分に裁く権利がないことは分かっている。
法律に携わる者として、
ましてや自らの手で殺すことが許されるはずもない。
それでも、Aは殺す。
ターゲットが、法の網をすり抜けた者だけだとしても──
「殺さずにはいられない自分」と
「それでも誰かを守りたい自分」のあいだで、
常に引き裂かれながら。
Aには家族がいなかった。
意図的に持たなかった。
いつ捕まっても、
できるだけ他人に迷惑がかからないようにするためだ。
深い人間関係も避けた。
同僚と飲みに行くことも少なく、
私生活の多くは謎に包まれていた。
Aは、自分が「いつ裁かれてもおかしくない存在」であることを、
一日たりとも忘れたことがなかった。
それでもなお、
心のどこかではこう思っていた。
「そのときが来るまでに、
極悪人から一人でも多くの人を救いたい」
それは、
自分の「悪」を、
少しでも意味のある方向に使おうとする最後の足掻きなのか。
それとも、
悪を正当化するための、都合のいい物語なのか。
槌を打つ手の震えを、
Aは今日も、誰にも気づかれないように抑え込んでいた。
法治国家では、
原則として「人を裁く権利」は、
法律と裁判の枠組みに委ねられている。
たとえ法の抜け道を使って逃げる者がいたとしても、
個人が勝手に裁きを行えば、
それはただの報復であり、
道徳的にも認められない──というのが建前だ。
しかし、物語の世界では、
「悪が、もっと大きな悪と戦う」役柄は珍しくない。
たとえば、大胆不敵な怪盗が、
それ以上に腐った権力者や悪党を出し抜く物語。
彼自身は泥棒でありながら、
結果的に「より大きな悪」をくじくことで、
好感度の高い主人公として描かれることもある。
あるいは、テロリストと戦うために、
法のグレーゾーンやルール違反に踏み込んでいく捜査官の物語。
「法を破る者と渡り合うためには、
法だけを守っていては間に合わない」といった論理で、
視聴者の共感を集めることもある。
フィクションの中では、それは
「スカッとするカタルシス」として機能する。
では、現実ではどうだろうか。
大きな悪と戦うなら、
小さな悪はどこまで許されるのか。
「悪人を裁く悪」は、
どこまでがヒーローで、どこからがただの犯罪者なのか。
もしそれを許してしまえば、
「自分はもっと大きな悪と戦っているから、この悪は正当だ」
という理屈で、
ありとあらゆる違法行為が正当化されてしまう。
コンビニの万引き常習犯が
「国家を脅かす悪と戦うための資金だ」と言い張ったら、許されるのか?
法を守る側の人間が
「より大きな悪に対抗するためだ」と言いながら、
ルールを踏み越え続けたら、どこで線を引くのか?
そんなはずはない、と誰もが思う。
それでも、人はときどき、
「悪が悪を裁いてくれたらいいのに」と願ってしまう場面がある。
その願い自体が、
どこまで許されるのか。
そして、
もし本当に「悪を裁くための悪」が現れたとき、
私たちはそれを、
止めるべきものとして見るのか。
それとも、密かに歓迎してしまうのか。
Aのような存在は、
フィクションの中にだけ留めておくべきなのか──
それとも、すでにどこかで静かに息をひそめているのか。
その境界線を考えるための、
小さな思考遊戯である。