分断は、人から冷静さを奪います。
冷静さを失えば、誤解は増え、言葉は荒くなり、争いは加速していく。
分断とは、意見の違いそのものではなく、心の温度が下がっていく現象なのかもしれません。
そして、ここで大切なのは――
「違いを認めること」と「尊重」は、同じではないという点です。
違いを認める、というのは、ある意味では“線引き”です。
「自分とは違う」と分類する。
それ自体は、多様化の時代には避けられません。主張ができる言論の自由の時代である以上、違いは表に出るし、見えるようになる。
ただ、違いを認めることには、怖さもあります。
違いを認める、が、いつの間にか「相手は人ではない」と見なす方向に滑ることがある。
相手を“人ではないもの”として扱えるようになった瞬間、心のブレーキは外れます。
人だと思えない相手には、どんな酷いことでもできてしまう。
世の中には「人でなし」と思いたくなる出来事が溢れている。
そう感じる瞬間があるのも、分かります。
でも、だからこそ問われるのは、ここから先です。
違いを認めたうえで、それでも尊重できるか。
尊重がなければ、違いは対立しか生み出しません。
違いを見つけるほど、互いを遠ざける。
互いを遠ざけるほど、想像が働かなくなる。
そして最後は、言葉ではなく、敵意だけが残る。
では、どうすれば尊重できるのか。
答えの一つは、単純です。
共通点を探せばいい。
同じ人間。
同じ生き物。
同じ地球に住んでいる。
同じように疲れ、同じように不安になり、同じように温もりを欲しがる。
共通点は、実は無数にあります。
それを拾えた瞬間、相手は「分類」から「存在」に戻ってくる。
“人”として見えるようになる。
ただし、ここにも現実があります。
価値観がまったく違う場合、尊重は簡単ではありません。
極端にいえば、人の心を平気で傷つけて喜べる感覚や、誰かを痛めつけることを楽しめる価値観を、尊重できるはずがない。
尊重とは、何でも肯定することではありません。
現実的に不可能であるなら、冷たく聞こえても「関わらない」という選択が、いちばん誠実な場合もあります。
無理に近づいて、憎しみを増幅させない。
協力できるときだけ関わる。
それでいい。
そして、もう一つ大切なことがあります。
たとえ協力できても、協力が「分断のため」なら意味がない。
誰かを排除するための団結は、結局、世界を冷やす。
本当の協力は、助け合えること。
寒いときには温め合えること。
安心を分け合えること。
人類は発展し、神に近づき、神を追い越そうとしている――そんな言い方がされる時代になりました。
けれど、もし「神」に近づくということがあるのだとしたら、
それは特別な力を持つことでも、テクノロジーが発展することでもなく、
“見守れる存在”になることなのかもしれません。
関わらないまま見守りながら、必要なときには手を差し出す。
踏み込まずに、壊さずに、支える。
今必要なのは、違いを“認めるだけ”で終わらせないための、温かい光なのだと思います。
違いが増える時代だからこそ、尊重がなければ、世界は簡単に冷えてしまう。
だから私は、こう願います。
違いの向こう側に、もう一度“人”を見いだせるように。
認め合える違いを育てられるように。
そのための小さな光を、自分の中に消さずに持っていたいのです。