変化し続けるはずの世界が、実はどこにも進んでいないとしたら──。
時間と因果のほころびをのぞき込んでしまった男がたどる、「変化」と「幻」をめぐる小さな思考遊戯。
Aは、理由の分からない恐怖に怯えていた。
「……恐ろしい」
胸の奥からせり上がってくるそれは、
誰かに追われているわけでも、病気を宣告されたわけでもないのに、
冷たい汗をにじませる類の恐怖だった。
原因はただ一つ。
Aが、ある「事実」に気づいてしまったからだ。
何も変化していないのではないか。
――世界も、自分も、時間でさえも。
仏陀は「変化しないものはない」と説いたという。
Aも長らく、それに納得しているつもりだった。
生まれ、老い、病み、死んでいく。
季節は巡り、街並みも人間関係も移ろっていく。
変化など、そこら中にあるように見える。
ところがある日ふと、Aはこう思ってしまった。
「変化しているように見えるだけで、
実は何一つ変わっていないのではないか?」
その「ひっくり返った視点」が、
じわじわと全てを侵食していった。
時間についても同じだった。
時計の針はぐるぐる回り、
カレンダーの数字は確かに進んでいく。
それでもAには、
「時間が本当に進んでいる」という確信が持てなくなった。
(これは全部、勝手な“解釈”でしかないのではないか?)
そう思い始めたら最後、
Aの頭は、止まらなくなった。
「いや、これは主観的な錯覚だ。
ちゃんと検証すれば、変化があると確認できるはずだ」
Aは、自分を落ち着かせるために
“検証”を試みることにした。
まずは、一時間後の自分を
なるべくリアルにイメージしてみる。
(よし、一時間後の自分が、ここでコーヒーを飲んでいると想像しよう)
ところが次の瞬間、別の疑問が割り込んできた。
「一時間後を本当に想像するには、
そこにたどり着くまでの“途中”も、
ちゃんと想像しなきゃいけないんじゃないか?」
一時間後に到達するには、
その半分である「三十分後」の自分が存在しているはずだ。
三十分後をリアルに描くには、
さらに「十五分後」を想像しなければならない。
当たり前だが、
一分後の自分も、そのさらに一秒後の自分も、
どこかで存在しているはずだ。
そう考え始めた瞬間、
Aの思考は「割り算の沼」に落ちていった。
一秒後を描くには、
〇・一秒後を。
〇・一秒後を描くには、
〇・〇一秒後を。
その前には……と辿っていくと、
区切りは無限に細かくなっていく。
どこまでいっても、「到達した」と言い切れる地点にたどり着けない。
正確に、論理的に、
「一時間後の自分」を想像しようとすればするほど、
Aは「到達不能な無限階段」を登らされ続けることになる。
そして結論は、
いつも同じ場所に戻ってしまう。
「変化した」と思っているだけで、
実際にはどこにもたどり着いていないのではないか。
この感覚は、やがてAにとって
「終わりなき恐怖」と同義になった。
「もし本当に何も変わっていないのだとしたら、
私はずっとここに、閉じ込められていることになる」
何をしても、
どれだけ時間がたったように“見えて”も、
実は一歩も動いていないとしたら――。
Aは思った。
「このまま考え続けたら、本当に発狂する」
そこで彼は、別の結論に逃げ込むことにした。
「全部、幻だとしたらどうだろう」
この世界も、自分も、時間も、
変わる・変わらないという議論そのものも、
ひとまとまりの“幻影”にすぎないとしたら。
幻であるなら、
変化していようがしていまいが、
そこまで重大な話ではなくなる。
Aは、その考えを受け入れることにした。
不思議なことに、
そう決めた瞬間、胸を締めつけていた恐怖は
すっと和らいでいった。
(ああ、そうか。これは全部、夢みたいなものなんだ)
Aの心は、ようやく静けさを取り戻したかに見えた。
だが、その先にもう一つの発想が待っていた。
「もし全部が幻なら……
何をしても構わないんじゃないか?」
その考えは、
最初はほんの冗談のような形で現れた。
「多少ルールを破っても、どうせ幻なんだし」
そう自分に言い聞かせた瞬間、
Aの中で何かが少しだけ外れた。
やがてそれは、
「多少」では済まない行動へと
静かに、しかし確実に膨れ上がっていった。
現実の法律も、
人の痛みも、
自分の将来も、
すべて「幻」という一言で薄められていく。
当然の結果として、Aは逮捕された。
裁判でも、「世界は幻である」という
持論を主張し続けたが、
判決文の内容が変わることはなかった。
Aは、一生を刑務所の中で過ごすことになった。
冷たいコンクリートの壁に背を預けながら、
彼はぼんやりと天井を見上げる。
自分の手足に絡みつく鉄格子の感覚も、
胸の奥でわずかに疼く後悔も、
「これも幻だ」と言い切るには、
あまりにも具体的だった。
「……たとえ幻だとしても、
ルールは守るべきだったな」
Aはそう思いながら、
再び、ゆっくりと目を閉じた。
世界が本物か幻かを問う前に、
壊してしまったものの重さだけが、
最後までずっしりと残り続けていた。
全てを「計算」と「論理」で
押し切ろうとする試みには、
必ずどこかでパラドックスが顔を出す。
時間を連続的に分割していけば、
どこまで行っても「今ここ」にしかいられない、
というジレンマが現れるように。
厳密さを求めれば求めるほど、
世界は逆に「扱いにくいもの」へと変貌していく。
ある地点で妥協しなければ、
論理そのものが身動きできなくなる。
であるならば、
「真に確かなもの」がどこかにあると
言い切るのは、簡単ではない。
それでも私たちは、
不完全な論理と不確かな感覚のあいだで
なんとか折り合いをつけながら、
「それでも、ここに世界がある」と決めて
日常を続けているのかもしれない。