トレンドを追いかける。
長いものには巻かれろ。
そのほうが得をする。失敗しにくい。置いていかれない。
一見すると、メリットばかりに見える。
でも私は時々、そこで胸の奥が削られる感覚も同時に思い出す。
心が疲れていく。
情報を追うほど、自分の輪郭が薄くなる。
これは否定ではない。
ただの疑問だ。
トレンドに乗ることは、本当に「生きる力」になるのだろうか。
それとも、波に追われることが「生きる」だと錯覚しているだけなのだろうか。
トレンドが成立する理由は単純だ。
珍しいものが注目を集める。
そして、珍しさはすぐに消費される。
消費されれば、入れ替わる。
入れ替われば、また珍しさが生まれる。
だからトレンドは“新しい”顔をしていても、
構造としては繰り返される。
私たちは「時代が進んでいる」と感じているが、
実は「入れ替わる速度」が上がっているだけ、ということもある。
分かりやすい例がある。
協力が称賛される時代が来る。
対話、共感、多様性、みんなで決めよう。
ところが、疲れが溜まると空気が変わる。
「話し合いは遅い」
「もう決めてくれ」
「強いリーダーが必要だ」
民衆の話し合いと、独裁のための煽り。
協力と支配。
この往復は、形を変えながら何度も現れる。
多様化と均一化も同じだ。
「多様性」が流行ると、今度は「多様性っぽさ」が均一化する。
「個性」が流行ると、個性の型が増える。
結局、何でも同じで、繰り返さされるだけに見える瞬間がある。
トレンドに乗れば、確かに力を得られる。
注目が集まる。数字が伸びる。味方が増える。
追い風が吹く。
でも、それが永遠に続くと思った瞬間、幻になる。
トレンドは波だ。
波は、必ず引く。
引いて初めて、あれが“波”だったと分かる。
怖いのは、波が引いたときに
「自分の価値が消えた」と思ってしまうことだ。
消えたのは価値ではなく、追い風だけなのに。
心が削られるのは、努力が悪いからではない。
“判断の基準”を外に預け続けるからだ。
いま何が正しいか
何が流行っているか
どんな言葉が伸びるか
何を言うべきか
何を言うと叩かれるか
それを外部に合わせ続けると、
自分の感覚が「後回し」になる。
後回しが続くと、やがて自分が何を好きだったかも薄れる。
トレンドに巻かれるとは、
流れに乗ることではなく、
自分の中心を預けることになり得る。
だから私は思う。
トレンドに左右される必要はない。
乗ってもいい。
ただ、乗るときに条件を決めておきたい。
たとえば、
波に乗って得るものは「手段」で、目的ではない
波が引いても残るもの(技術・関係・作品)を回収する
心が削れはじめたら、撤退できる
乗らないことを「遅れ」ではなく「選択」と呼ぶ
そうすると、トレンドは脅威ではなくなる。
ただの天気になる。
晴れたら動きやすい。
雨なら別のことをする。
それくらいの距離感でいい。
最後に、問いを置いておく。
私はいま、波に乗っているのだろうか。
それとも、波に追われているのだろうか。
そして、波が引いたあとにも残したいものは――何だろうか。