「私」は一番近い。
なのに、いちばん捕まらない。そんな思考遊戯。
「お前は誰だ?」
Aは、自分に問いかけた。
「他でもない。俺は俺だ」
Aはしばらく沈黙し、自分を確認した。
頬に触れ、腕を撫で、胸に手を当てる。
「この身体が俺だ」
「この顔が俺だ」
一度は納得しかけた。
ところが、終わらない。
Aは、さらに自問自答を続けたからだ。
「……では、その確認した者は誰だ?」
「もちろん、それも俺自身だ」
「その“俺自身”とは何だ?
周りから与えられた名前や肩書を全部取り払ってみろ。何が残る?」
Aはすぐに答えた。
「俺という意識が残る」
「では、その意識はどうやって生じている?」
「脳のシナプスが反応パターンを作り、それが意識として立ち上がるんだろう」
「じゃあ、お前はシナプスなのか?」
「それは違う。シナプス“だけ”では俺じゃない。
シナプスの形成から生まれた意識が俺だ」
「ふむ。では、その“考えよう”と指示したのは誰だ?」
「もちろん俺自身だ」
「ほぉ。ならば、今“俺自身”と答えたのを指示したのは誰だ?」
「それも俺だ」
「ということは、俺という存在は複数いるのか?」
Aは少し黙った。
「……いや、瞬間ごとに生じる意識が、入れ替わっているだけだ」
「それなら、電気信号がお前なのか?」
「それも違う。電気信号はきっかけに過ぎない」
「では、そのきっかけが生じなければ、お前も生じないのか?」
「それは違う。きっかけがなくても、俺は存在するはずだ」
「だが、その“存在するはずだ”という考えが浮かんだのも、
きっかけが生じたからじゃないのか?」
Aは、息を吐いた。
「……よく分からなくなってきた」
すると、もう一人のAが、勝ち誇ったように言った。
「なるほど。それが答えだな」
Aは苦笑した。
「そうだな。結局のところ、
“よく分からない存在”――それが俺なのかもしれないな」
―――――
普段、当たり前すぎて考えもしない存在。
それでいて、何よりも身近な存在――自分自身。
意識が解明されるまで、自我や意識を使って「自分」を証明するのは、簡単ではないのかもしれない。
自分自身すらはっきりしないのに、他人を理解するのは困難を極める。
だからこそ、理解しようとする努力が必要だ、という見方もできる。
「瞬間、瞬間」に変化する意識。
はっきりと確認できないがゆえに、人は確認できるもの――
名前、肩書、評価、所有物、役割、実績――で自分を補おうとするのだろうか。
つながる経過の中でのみ存在できる者。
それが自分自身なのだろうか。
……もちろん、そんなことどうでもいいと思う自分がいなければ、の話だが。