遠回りにも、意味はあるのかもしれない。失敗や気づきを、物語・歌・動画にしています。
もし人生が一度きりではなく、
終わったあとも、何度でも同じように始まるのだとしたら。
それは救いなのか、罰なのか。
あるいは、考えすぎること自体が、無意味なのかもしれない。
無限をめぐる小さな思考遊戯。
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A男は、長いあいだ、ある真実から目をそらして生きてきた。
それは、知ってしまえば楽になれる類の真実ではなかった。
むしろ、まともに受け止めれば、日常の足元が崩れかねない種類のものだった。
だからA男は、それを思い出してからも、見なかったことにしようとしていた。
けれど、無理だった。
一度思い出してしまったものは、忘れようとするほど輪郭を濃くする。
その真実とは、生まれ変わりはあるということだった。
しかも、それはA男が想像していたような、都合のよい話ではなかった。
徳を積めば上へ行けるとか、来世では別人として生き直せるとか、そういう話ではなかった。
死んだあとには時間という概念がなく、すべてが途切れたかと思えば、次の瞬間にはまた始まっている。
いや、“次の瞬間”という表現すら正しくないのかもしれない。
時間がないのだから、次も前もない。
気づけばまた、同じ母体の中にいて、同じように生まれ落ちている。
A男は、それを知っていた。
いや、正確には、思い出してしまったのだった。
自分がこれまでに、何度この人生を生きてきたのか。
A男は頭の中でおおよその数を思い浮かべた。
九十万五十七回目。
もっとも、それは厳密に数えたわけではない。
気の遠くなるような反復の中で、どこかの時点から数えること自体が怪しくなっている。
だから、その数字にも大した意味はないのかもしれない。
それでもA男には、はっきりとした感覚があった。
これは初めてではない。
その感覚だけは、どうしても消えなかった。
A男は思った。
「いっそ、忘れたままの方が幸せだった」
普通なら、人は死んだ瞬間にすべてを忘れる。
だから生きていられるのだろう。
自分が何度も繰り返されていることも、同じ失敗を無数に重ねてきたことも、知る必要がない。
けれどA男は、思い出してしまった。
それは祝福ではなかった。
重荷だった。
朝起きる。
食べる。
働く。
笑う。
怒る。
恋をする。
別れる。
何かを選ぶ。
何かを諦める。
その一つ一つに、妙な重みがついた。
どうせまた繰り返すのなら、何をしても無駄なのではないか。
そう思った。
だが同時に、別の恐ろしさもあった。
もしここで何かを変えたなら。
もしほんの少しでも違う選択をしたなら。
その変化自体が、また無限に繰り返されるのではないか。
何もしなくても虚しい。
何かをしても重い。
どちらに転んでも、気が狂いそうだった。
A男はしばらく、その考えに飲み込まれていた。
何を見ても、少し色あせて感じられた。
食事も、仕事も、会話も、娯楽も、すべてが一度どころか何万回も通り過ぎた景色のように思えた。
新鮮さが失われると、世界は急に薄くなる。
けれど、あるときA男は思った。
いや、待てよ。
どうせ逃げられないのなら。
どうせまた始まるのなら。
どうせ何度も繰り返されるのなら。
だったら、そこまで深刻に構える必要があるのだろうか。
苦しみが無限なら、楽しさも無限だ。
失敗が無限なら、笑える瞬間も無限だ。
うまくいかなかった記憶が繰り返されるなら、うまい酒を飲んだ夜も、好きな人と笑った時間も、風の気持ちよかった午後も、同じように繰り返される。
A男は、ふと肩の力が抜けるのを感じた。
永遠に続くと聞くと、人はすぐに苦しみを思い浮かべる。
だが、楽しいことまで永遠だと考えたことは、あまりなかった。
苦しみが無限なら、楽しさも無限なのだ。
そう考えると、少しだけ気が楽になった。
一度きりだと思えば焦る。
失えば終わりだと思えば怖くなる。
けれど、また来るのだとしたら、今ここで少しくらい力を抜いてもいいのかもしれない。
A男は、深く息をついた。
そして、どこか投げやりで、どこか本気で、こんなことを思った。
「こんなに楽しい思いを、無限に経験できるのか。ラッキー!」
その言葉が強がりなのか、達観なのか、A男自身にもよく分からなかった。
ただ少なくとも、その瞬間のA男は、少しだけ笑っていた。
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生まれ変わりや永劫回帰のような話は、考え始めると終わりがない。
そして厄介なことに、どこまで考えても確かめようがない。
もし本当に前世や来世があったとしても、それを覚えていなければ、現実の生活には何の影響もないのかもしれない。
そういう意味では、意味のない問いだと言うこともできる。
けれど、人は昔から、意味のない問いに惹かれてきた。
なぜなら、意味がないからこそ、そこには実用とは別の味があるからだろう。
人生は一度きりなのか。
それとも何度も繰り返されるのか。
死んだあとに何があるのか。
そうした問いは、答えが出ないからこそ、人の感じ方を変える。
一度きりだと思えば、今はかけがえのないものになる。
無限に繰り返すと思えば、今の一瞬が妙に軽くも、重くもなる。
この物語のA男は、真剣に考えた末に、少しおかしな方向へ着地した。
絶望しきるのでもなく、悟りきるのでもなく、最後は「ラッキー!」と笑ってしまう。
それは、思想として正しいのではなく、気が狂わないための知恵なのかもしれない。
考えすぎると、人生は重くなる。
けれど、少し角度を変えるだけで、その重さは妙な可笑しみに変わることがある。
無限は、人を押しつぶすこともある。
同時に、開き直らせることもある。
もし人生が本当に繰り返されるのだとしても、
あるいはまったく繰り返されないのだとしても、
私たちは結局、この一回のように見える今を生きるしかない。
だからこそ、深く考えて苦しくなったあとに、少し笑えるくらいが、ちょうどいいのかもしれない。
同じ朝、同じ道、同じ日々。
それでも、笑った時間や美しい景色まで繰り返されるのなら、
この人生も少しだけ悪くないと思える歌です。
目覚ましが鳴って また同じ朝が来る
見慣れた天井 昨日と同じコーヒーの匂い
靴紐を結んで いつものドアを開ける
まるで決められた台本を ただなぞるように
右へ曲がっても 左へ曲がっても
結局たどり着く結末は 変わらない気がして
何をしても無駄なら 何もしなくても同じ
そう思った途端に 足取りが重くなった
あぁ どうせ繰り返すだけの日々なら
悩んだりもがいたりしても 仕方ないのかな
色あせた景色の中で 息をひそめて
ただ無事に 夜が来るのを待っているだけ
いつもの帰り道 見慣れた街灯り
すれ違う人の顔も 昨日と同じに見える
変わらない街並み 変われない私
こぼれたため息は 夜風に白く消えていった
だけど もしもこの退屈なループが
ずっとずっと 果てしなく続くのだとしたら
悲しいことや 苦しいことばかりじゃなくて
あの日の喜びも またやって来るんじゃないか
あぁ どうせ繰り返すだけの日々なら
泣いた夜も また巡ってくるけれど
美味しかったあのスープの味も 綺麗な夕焼けも
君と笑い合った時間も 何度でも巡るんだ
「永遠」なんて言葉 少し怖かったけれど
終わらないってことは 失わないってことかもね
背負い込みすぎた荷物を ここで少し下ろして
どうせなら 今日の風を感じて歩いてみよう
あぁ 同じことの繰り返しだとしても
もう一度君と笑えるなら それも悪くないな
何度繰り返すのだとしても 今日という日は
何度だって味わえる とっておきの時間
また同じ朝が来る
だけど今日は 少しだけ違う気がする
ふふって 小さく笑いながら
いつものドアを 開けてみようか
「ラッキーだな」なんて 心でつぶやいて