遠回りにも、意味はあるのかもしれない。失敗や気づきを、物語・歌・動画にしています。
Aには、昔から抑えきれない熱があった。
それは人の心を動かす力にもなったが、同時に、人から利用される隙にもなった。
正しさのために燃えた情熱は、どこから暴力に変わるのか。
情熱をめぐる小さな思考遊戯。
―――――
Aは、小さい頃から、内側に燃えたぎるものを抱えて生きていた。
それは、怒りとも違う。
正義感とも少し違う。
ただ、どうしても見過ごせないものを見たとき、身体の奥から火が噴き上がるような感覚だった。
嘘をつく人間を見ると、黙っていられない。
弱い者を笑う人間を見ると、黙っていられない。
誰かが傷つけられているのに、周りが見て見ぬふりをしていると、どうしても声を上げずにはいられなかった。
子どもの頃は、それが素行の悪さとして目立った。
教師に食ってかかる。
同級生のいじめを止めようとして、逆に殴り合いになる。
大人の建前を聞いて、机を蹴る。
周りは言った。
「乱暴な子だ」
「落ち着きがない」
「もう少し大人しくしなさい」
Aは、何度も叱られた。
何度も反省文を書かされた。
それでも、自分の中の火を消すことはできなかった。
大人になってからも、Aは変わらなかった。
場の空気を読むのは苦手だった。
綺麗な言葉で取り繕うのも苦手だった。
嘘を笑顔で飲み込むことなど、もっと苦手だった。
だから、Aは社会を見て、毎日のように苛立っていた。
誰かが得をするための綺麗な嘘。
都合の悪いことだけ隠す説明。
弱い人には厳しく、強い人には甘い仕組み。
責任を取らない人間ほど、丁寧な言葉で守られていく現実。
「こんな世の中、おかしいだろ」
Aは、ある日、政治家になることを決めた。
周囲は驚いた。
「お前が政治家?」
「ちゃんとスーツも着られないのに?」
「言葉遣いを直さないと無理だろ」
しかしAは、聞かなかった。
「綺麗な格好で嘘をつくより、汚い言葉で本当のことを言う方がマシだ」
選挙演説の日も、Aはきちんとした正装をしなかった。
髪も乱れ、言葉遣いも荒く、身振りも大きかった。
けれど、その声には妙な力があった。
「俺は嘘が嫌いだ!」
Aは、マイクを握りしめて叫んだ。
「上手いこと言って、国民を丸め込むやつらが嫌いだ!
弱い人間に我慢させて、自分たちだけ安全な場所にいるやつらが嫌いだ!
こんな嘘だらけの狂った世の中を変えてぇ!
力を貸してくれ!!!」
粗暴だった。
洗練されていなかった。
政策の説明としては、雑な部分も多かった。
それでも、聞いていた人々の胸は揺れた。
この人は、嘘をついていない。
この人は、本気で怒っている。
この人は、誰かの原稿を読んでいるのではなく、自分の腹から声を出している。
そう感じた人が、少なくなかった。
Aは当選した。
政治家になってからも、Aは変わらなかった。
会議では遠慮なく発言した。
ごまかしの答弁には、容赦なく噛みついた。
支援者にも、間違っていると思えば怒鳴った。
仲間からも、しばしば煙たがられた。
けれど、国民の一部は、そんなAを支持した。
「口は悪いけど、本音で言っている」
「綺麗ごとばかりの政治家より信用できる」
「怒るべきところで怒ってくれる」
Aの情熱は、人々の希望になりつつあった。
そんなある日のことだった。
政治家たちが集まる大きなパーティーが開かれた。
そこには、Aの友人であるコメディアンも招かれていた。
会場は華やかだった。
高そうな料理が並び、笑い声が響き、あちこちで握手と写真撮影が行われていた。
コメディアンは、場を盛り上げようとしていた。
政治家たちの失敗談。
有名人の癖。
誰もが笑えるような軽い皮肉。
最初のうちは、Aも笑っていた。
だが、次の瞬間、空気が少し変わった。
コメディアンは、Aの妻をネタにした。
それは、本人にとってはただの冗談だったのかもしれない。
会場の多くも、深く考えずに笑った。
悪意があるとまでは、言い切れないのかもしれない。
けれどAには、それが笑いには聞こえなかった。
自分のことならいい。
自分が粗暴だと言われてもいい。
自分が馬鹿にされてもいい。
だが、妻のことを人前で笑いものにすることだけは、どうしても許せなかった。
Aの内側で、古い火が噴き上がった。
子どもの頃、いじめを見て机を蹴ったときの火。
大人の嘘に食ってかかったときの火。
選挙演説で国民に叫んだときの火。
それと同じ火だった。
Aは席を立った。
周囲が止める間もなく、コメディアンの前まで歩いていった。
「俺のことはいくら馬鹿にしても構わねぇ」
Aの声は震えていた。
「だが、嫁を侮辱する行為だけは許さねぇ!!!」
次の瞬間、Aはコメディアンの頬を叩いた。
会場は凍りついた。
さっきまで笑っていた人々の顔から、表情が消えた。
カメラが一斉にAへ向いた。
誰かが悲鳴を上げた。
誰かがスマホを掲げた。
映像は、すぐに世界中へ広がった。
「政治家A、暴行」
「情熱の政治家、ついに一線を越える」
「どんな理由でも暴力は許されない」
「妻を守っただけではないか」
「いや、これは公人として完全に失格だ」
世論は激しく割れた。
けれど、時間が経つにつれ、一つの言葉が強くなっていった。
暴力はいけない。
それは、確かに正しい言葉だった。
Aは逮捕された。
謝罪会見を開いた。
政治家としての立場も、支持も、急速に崩れていった。
かつてAの情熱を称賛していた人々も、距離を置き始めた。
「あの熱さがよかったんだけどな」
「でも、暴力はさすがに駄目だ」
「結局、危ない人だったんだよ」
Aは、留置場の冷たい壁を見つめながら思った。
「俺は……やつの目を覚まさせるための、愛のムチのつもりだった」
だが、その言葉は誰にも届かなかった。
届いたとしても、許される理由にはならなかった。
A自身も、本当は分かっていた。
暴力はいけない。
どんな理由があっても、手を出してはいけない。
それでも、どうしても思ってしまう。
では、人を傷つけて笑いを取る言葉はどうなのか。
それを笑った会場の空気はどうなのか。
その切り抜きだけを見て、正義の顔で叩き始めた人々はどうなのか。
自分は裁かれた。
それは当然かもしれない。
だが、あの場にあった言葉の暴力は、誰が裁くのだろう。
―――――
その頃、別の部屋で、政治家Bが報告を受けていた。
「万事、収まりました」
秘書がそう告げると、Bはグラスを傾けながら、静かに笑った。
「うむ。よくやった」
Bは、Aの存在をずっと危険視していた。
Aは粗暴だった。
扱いづらかった。
だが、それ以上に、嘘を見抜く嗅覚があった。
Bが国民を欺いていること。
裏で都合の悪い取引をしていること。
綺麗な言葉で、巧みに責任を逃れていること。
それらを、いつかAが公の場で叫ぶかもしれなかった。
だからBは、Aを潰す機会を待っていた。
Aの弱点は分かりやすかった。
情熱がありすぎる。
怒るべきところで、本当に怒ってしまう。
守りたいものを傷つけられたとき、理屈より先に身体が動いてしまう。
Bは、そこを突いた。
会場の空気を少しずつ整えた。
コメディアンが踏み込みすぎるように仕向けた。
そのあと、切り抜かれた映像が一気に広がるように、あらかじめ人を動かしていた。
もちろん、Bは一度も「暴力を振るわせろ」とは言っていない。
ただ、火の近くに乾いた藁を置いただけだった。
そしてAは、燃えた。
Aの情熱は、人を動かす力であると同時に、人に動かされる弱点でもあった。
Bは笑った。
「あいつは情熱がありすぎた。
いつ俺の嘘を暴くか分からん奴だったからな。
だが今や、Aは国民の敵だ。これで安心だ」
国民の多くは、何も知らなかった。
裏で誰が空気を作ったのか。
誰が切り抜きを広げたのか。
誰が怒りの方向を決めたのか。
そんなことは、誰も気にしなかった。
人々はただ、正しいことをした気分になっていた。
暴力はいけない。
そんな人間は裁かれるべきだ。
自分たちは、きちんと悪いものを悪いと言った。
その満足感は、とても清らかに見えた。
Bは、画面の向こうで炎上し続けるAを見ながら、穏やかに言った。
「まったくもって、暴力はいかんな」
その言葉に、周囲の者たちは深くうなずいた。
誰一人として、Bの笑みを咎(とが)める者はいなかった。
―――――
暴力はいけない。
この言葉は、基本的には正しい。
どれほど怒っていても、どれほど大切な人を守りたかったとしても、手を出すことが許されるわけではない。
情熱があること。
愛情があること。
正義感があること。
それらは、暴力を正当化する免許にはならない。
だが一方で、暴力という言葉を、目に見える行為だけに限定してしまうと、別の問題が見えにくくなる。
人を傷つけて笑いを取る言葉。
誰かの尊厳を軽く扱う冗談。
一部分だけを切り抜いて、社会全体で人を裁く空気。
誰かが怒るように仕向け、その怒りを利用して失脚させる手口。
それらは、手を上げる暴力とは違う。
だからこそ、裁かれにくい。
明確な脅迫や名誉毀損であれば、法の問題になることもある。
しかし、冗談、演出、風刺、批判、世論、空気という形を取ったものは、境界が曖昧になる。
誰かを笑わせる言葉と、誰かを傷つける言葉。
正当な批判と、集団による裁き。
怒りの表明と、扇動された正義感。
その線引きは、簡単ではない。
さらに厄介なのは、情熱を持つ人ほど、そうした空気に利用されやすいことだ。
冷静で計算高い人間は、怒らない。
少なくとも、人前では怒らない。
怒るべき場面でも、表情を整え、言葉を選び、別の人間が怒るように仕向けることができる。
一方で、本気で怒る人間は、しばしば自分の手を汚してしまう。
社会は、見える暴力を裁く。
だが、見えない扇動は見逃す。
もちろん、それでも手を出した責任は消えない。
Aが許されるわけではない。
けれど、Aだけを裁いて終わった瞬間、Bのような人間は笑う。
情熱は、人を動かす。
だが、情熱は、動かされる。
誰かが激しく怒っているとき、私たちはその人の怒りそのものだけを見る。
しかし本当は、もう一つ問いを置く必要があるのかもしれない。
その怒りは、どこから火がついたのか。
そして、その火で一番得をしたのは誰だったのか。