善意は、正しい。
けれど善意は、正しいまま汚れることがある。そんな思考遊戯。
「皆様からの心からのご寄付は、大切に使わせてもらいます」
Aは、壇上で深く頭を下げた。
声も表情も、嘘ではなかった。
本当に感謝していたし、本当に役立てるつもりだった。
実際、寄付金は図書館へ送られた。
新しい書物が並び、子どもたちが目を輝かせた。
地域新聞にも取り上げられ、Aは感謝状や称号をいくつも受け取った。
称号が増えるほど、寄付はさらに集まった。
「この仕組みは、素晴らしい」
Aはそう言い、心の底から良い行いをしていると信じていた。
ところが後日、真実が発覚した。
寄付金のやりくりを任せていた四人の幹部は、確かに図書館へ贈呈していた。
集会の建物の建築にも使われていた。
環境保護団体への支援にも回されていた。
しかし――それは、寄付の一部に過ぎなかった。
余った多額の寄付は、某国の銀行へ預け入れられ、
その預金を担保にした資金が、回り回って麻薬の流通に流れていたのだ。
Aは四人を集め、机を叩いた。
「なんでこんなことをしたんだ!」
四人の幹部は、慌てた様子もなく説明した。
「私たちは確かに、多くの人を助けています」
「預金が麻薬に流れている、という情報は聞かされていません」
「おそらくデマでしょう。証拠がありません」
「それに、預金を元に何が行われているかは、私たちの関知するところではありません」
そして最後に、決定打のように言った。
「もしそれを認めれば、寄付は集まらなくなります」
「そうなれば、今助けられている人たちを、助けられなくなる」
「あなたは、それを望みますか?」
Aは、息を呑んだ。
「しかし……!」
言いかけて、言葉が詰まった。
善意は、確かに人を助けている。
一方で、その善意が、どこかで悪の燃料にもなっている。
「助かった人がいるから」
「証拠がないから」
「知らなかったから」
「続けなければ救えないから」
正しそうな言葉が、次々に積み上がる。
積み上がるほど、真実は見えにくくなる。
Aは、机の上に並ぶ感謝状を見た。
その紙は軽い。
だがその紙が呼び込んだ金は、重かった。
Aは、ようやく気づいた。
善意は、時に――
見ないことで保たれるのだと。
―――――
あとがき
お金の流れを、道徳性で追いかけるのは簡単ではない。
金額が大きくなるほど現実味が薄れ、当事者意識もぼやけていく。
それでも私たちは、簡単にお金を出してしまう。
なぜなら、そこまで考える余裕がないからだ。
目の前で「役に立つ」という交換が成立している。
そのことだけが重要に見えてしまう。
そして、見たくないものは、見ないままにできてしまう。
もちろん、すべてを疑って生きるのも苦しい。
けれど、すべてを信じてしまうのも危うい。
善意の寄付が、本当に道徳的に使われているかを調べることはできるのだろうか。
あるいは、時間と労力をかけてまで、お金の流れを考えて使うべきなのだろうか。
これは寄付だけではない。
買い物も、投資も、税も、報酬も、消費も。
お金が動くところには、同じ問いが潜んでいる。
「そんなの知ったことじゃない」
お金は、きっとそう言う。
だからこそ問いたくなる。
あなたの善意は、どこまで見届けるだろうか。