草を刈り、虫を踏み、肉や野菜を食べて生きている私たちが、次の人生で“踏まれる側”に回るとしたら──声も上げられないまま痛みだけは感じているかもしれない、輪廻と苦痛の思考遊戯。
A子は、特別残酷な人間ではなかった。
むしろ、自分では「わりと普通より優しい方」だと思っていた。
伸びすぎた庭の草を、当たり前のように草刈り機で刈りそろえ、
近所で新しい家が建つたびに、大木が切り倒されていく様子を、少し寂しさを覚えながら眺め、
歩きながら、たまにアリを踏んでしまっても、「仕方ないか」と流し、
台所にはゴキブリホイホイを仕掛け、
夏の夜には、刺してきた蚊を反射的に叩き潰し、
食卓には、豚肉や鶏肉、山盛りの野菜が並ぶ。
どれも、ごく当たり前の日常だ。
「生きていくって、そういうことだよね」
多少の罪悪感が胸をかすめても、
そう自分に言い聞かせて、深く考えないようにしていた。
そんなある日、ニュースが世界中を駆け巡った。
「輪廻転生の存在を、国際研究チームが統計的に証明」
A子は、何気なくテレビをつけたまま、
洗い物をしていた手を止めた。
画面の中で、白衣の研究者が興奮気味に説明している。
「大昔から伝えられていた“生まれ変わり”は、
ただの迷信ではありませんでした。ただし──」
研究者は、スライドを切り替えた。
「人間が人間に生まれ変わるとは限らない、
という点が、従来のイメージと大きく異なっていました」
解析の結果、
人間の“次の生”は、
他の哺乳類、
鳥、魚、
昆虫、
さらには木や草などの植物にまで
幅広く分散していることが判明したという。
さらに、もう一つ厄介な事実があった。
研究チームによれば、人間としてのときと同じような
「言葉」や「表情」での表現はできなくなっても、
内側で生じている何らかの体験
刺激に対する「不快」や「快さ」に相当する反応
といったものは、形を変えながらも途切れず続いている
可能性が高いという。
昆虫の短い一生の中にも、
木が切り倒されるその瞬間にも、
外からは読み取れないだけで、
主観的な「うわ、これはつらい」という感覚に近いものが
伴っている――としか思えないデータが
積み上がっている、と研究者は説明した。
「魂」と呼ぶべき何かが、
種をまたいで渡り歩いている──
それが、膨大なデータの結果だった。
A子は、ぞくりとした。
「……じゃあ、あの木も? あの草も?
この前、何も考えずに踏んだアリも?」
ニュースキャスターが、追い打ちをかけるように言った。
「なお、どの存在に生まれ変わるかについては、
”道徳的なご褒美” というより、
“まだ体験していない種類の苦痛” を
埋め合わせるように配分されている可能性が高いとのことです」
それから、A子の日常は一変した。
草刈り機を持って庭に出て、
生い茂った草を前に立ち尽くす。
「この中に、元・人間が何人分いるんだろう」
そう思った瞬間、
どうしてもスイッチを入れられなくなった。
スーパーの精肉コーナーでは、
パックされた豚肉の前で足が止まる。
「この豚としての一生の前に、
人間として生きていた誰かがいるかもしれない」
そう考えると、
トレーを手に取るのさえ、躊躇を覚えた。
野菜売り場に逃げても、
今度は別の疑問が出てくる。
「じゃあ、このキャベツは? このニンジンは?」
昆虫や植物にも、
輪廻の枠が及んでいると聞いた以上、
「じゃあ、何を食べればいいの?」
という、出口のない問いばかりが増えていった。
しばらくして、研究チームが続報の記者会見を開いた。
A子は、今度は最初から、
食い入るように画面を見つめた。
代表の科学者が、淡々と語る。
「前回の発表で『人間が何に生まれ変わるか』という
分布についてお伝えしましたが、
今回はもう一歩踏み込んだ傾向が見えてきました」
スライドには、色分けされた複雑な図が映し出される。
「統計的に見ると──
ある存在が “たいしたことはない” とみなし、
軽く扱ってきた対象ほど、
その人が次に“なりやすい”傾向があります」
会場がざわついた。
科学者は続ける。
「たとえば、
昆虫の苦痛を一度も想像したことがない人は、
昆虫としての生を経験する確率が高い。
木が切り倒される痛みを、
『ただの資源』としか見てこなかった人は、
植物としての時間を長く過ごす傾向がある。
それは罰というより、
“まだ理解していない種類の苦痛を、
誰もが順番に担当していく仕組み”
のようにも見えます」
A子は、背筋に冷たいものが走るのを感じた。
ニュース番組のキャスターが、
視聴者代表として質問してくれた。
「では、私たちは──どうすればいいのでしょう?」
科学者は少し黙ってから、
言葉を選ぶように答えた。
「まず、前提として申し上げておきます。
誰も傷つけずに生きることは、不可能です。
私たちが呼吸をし、
何かを食べるという行為そのものが、
必ず誰かの生を終わらせています。
ただ──
どう扱うか。
どんな気持ちで関わるか。
それだけは、まだあなた方の裁量に残されています」
「次にその立場になるのは、
自分自身かもしれないと思って扱うか。
それとも、
見えない“何か”として雑に扱うか。
その違いが、
未来の生き心地に影響している可能性が
データ上は示唆されています」
その夜、A子は、
久しぶりに庭に出た。
伸び放題の草が、
風に揺れている。
「……ごめんね」
A子は、草たちに向かって小さくつぶやいた。
言葉も顔もないから、ただの草にしか見えない。
それでも、もし本当に意識の芯のようなものが
どこかに残っているのだとしたら――
根っこのあたりで「やめてくれ」と叫んでいても、
ただ誰にも届かないだけなのかもしれない。
人間だったとき、自分がそうされたら
きっとそう思うだろう、とA子は考えた。
「全部守ることは、できないみたい。
ここに家を建てた時点で、
もう、誰かの場所を奪ってるからね」
しばらく黙ってから、
草刈り機のスイッチに指をかける。
その瞬間、
ふと、妙な発想がよぎった。
「いつか私も、
そっち側の順番が回ってくるんだろうな」
もしかすると、
次の次の次あたりの人生で、
自分はこの庭のどこかに生えている
一本の草になっているのかもしれない。
「そのときは……
どうか、今の私みたいな人の足元に
生えていますように」
そう願って、
A子は草刈り機のスイッチを入れた。
ブオオオオ──という音が、
未来の自分への、
少し遅れた目覚まし時計のように響いた。
私たちは、日常の中で
数えきれないほどの「終わり」に関わっている。
草を刈る。
虫を踏む。
食べ物として動物や植物を口にする。
その一つひとつに、いちいち罪悪感を覚えていたら、
とても生きてはいけない。
だからこそ、見えないふりをするしかない場面も、多い。
この思考遊戯で描いているのは、
「もし、生まれ変わりが本当にあって、
しかも“まだ知らない苦痛を順番に担当する仕組み”
だとしたら?」
という仮定の世界だ。
そのルールの下では、
自分が軽く扱ってきた存在の痛みを、
いつか自分の身体で味わう番が回ってくる。
苦痛は、誰かに押し付けて終わるのではなく、
ぐるぐると巡り、
いつか自分のところに返ってくる。
そう考えると、
「できるだけ誰も傷つけない」ことよりも、
「どうせ傷つけてしまうなら、
せめてその痛みを想像し、
扱い方を選ぶ」
という方向に、倫理の軸が少しずれるのかもしれない。
生きること自体が、
誰かの苦痛の上に成り立っているとしたら――
「苦痛の順番が回ってきた自分を、
どんなふうに扱ってほしいか?」
そう問いかけることが、
いま目の前の草や虫や食べ物との関わり方を
静かに変えていくのかもしれない、
という遊びである。