同じ言葉でも、相手の耳では逆の意味になることがある。言葉をめぐる思考遊戯。
A子は、言葉で誤解を招くことが多かった。
ある日のこと、友人のB子が新車を購入した。
運転が苦手だから、駐車の誘導をしてほしいと頼まれた。
B子が窓を開けて聞いた。
「いい?」
A子は気軽に返した。
「いいよ~」
B子は安心して、さらにバックした。
少し下がったところで、B子がもう一度聞いた。
「いい?」
A子はまた返した。
「いいよ!」
B子は誘導の声に従い、さらにバックを続けた。
その瞬間、A子の視界に障害物が入った。
もう止めなければいけない。
A子は慌てた。
そして、咄嗟に出た言葉がこれだった。
「いいよ!いいよ!いいって言ってるでしょ!」
次の瞬間、B子の車は「ドカンッ!」という音を立てた。
B子は怒って言った。
「いいって言ったじゃない!」
A子も同じタイミングで言った。
「いいって言ったじゃない!」
B子は呆れた口調で言った。
「それって……もういい(止まれ)って意味だったの?」
A子は小さく頷いた。
「そう。私は“もういいから止まって”って言ったつもりだった」
同じ「いい」という言葉で、片方は「進め」、もう片方は「止まれ」になる。
A子は、自分の口から出た音が、相手の耳の中で正反対の意味になるのを初めて実感した。
A子の言葉の誤解は、これだけではなかった。
例えば、誘いを断っているつもりでも、相手には「迷っている」や「押せばいける」と受け取られてしまう。
「また今度」
「大丈夫」
「いいです」
そういう曖昧な言い回しが、相手の期待の燃料になることがあった。
説明しようとして言葉を重ねるほど、相手の解釈が増え、誤解が太くなることすらあった。
こんなことが起きた時、A子はいつも思った。
「言葉って難しい。私は一体、何を間違っていたのだろう?」
コミュニケーションは、言葉そのものよりも、ニュアンスで伝達されていることが多い。
ゆえに、伝達手段が言葉だけの場合は、特に注意が必要である。
言葉だけを受け取ると、勘違いが起こりやすい。
しかも厄介なのは、説明すればするほど勘違いが膨らむ場合があることだ。言葉は増えるほど、解釈の枝が増える。
この回のように、「いい」は典型である。
「いい=進んでいい」なのか、「いい=もういいから止まれ」なのか。
同じ音に、逆の意味が同居している。
だからこそ、重要な場面では曖昧語を捨てるのが合理的である。
「まだ下がっていい」ではなく「あと30センチ下がって、止まって」
「いいです」ではなく「行きません/買いません/必要ありません」
言葉を減らすのではなく、意味を絞るのである。
短い言葉だけでやり取りするSNSが誤解の宝庫になりやすいのは、その“意味の枝”が見えないからかもしれない。
心の中が読めるテレパシー能力があれば別だが、見えすぎることで、かえって揉め事が増える可能性もある。
結局、言葉は万能ではない。万能に見せようとする時ほど、破綻するのだろう。