没頭できるものが、あふれている。
脳を麻痺させるものが、普通に置かれている。
余計なことを考えないために、使ってしまう。
現実を忘れて、思考を鈍らせたくなる。
なぜ、必要になるんだろう。
なぜ、そこまでして“止めたい”んだろう。
頭に嫌なことが浮かんでくるから?
じゃあ、なぜ、嫌なことが浮かんでくる?
過去に傷ついた心が、同じ思いをしないように、
防衛反応として現れているのかもしれない。
今の問題を考えたくないから、目をそらしたいのかもしれない。
でも、現実逃避は、解決にならない。
その場しのぎで、どこにも逃げられない。
思考を鈍らせれば、なおさらだ。
だから、ここで問いを置く。
責めるためじゃない。
戻るための問いだ。
私は、何から逃げたい?
私は、何を見たくない?
私は、どこが痛い?
その痛みは、何を守ろうとしている?
不安や痛みから逃げずに済むには、どうすればいい。
不安と安心、痛みと快楽を、きれいに分けなければいけないのか。
それとも、同時に持つことはできるのか。
不安や痛みが限界を超えると、快楽物質が出る。
だから、逃げれば逃げるほど、逆に追いかけてしまう。
そういう仕組みも、あるのかもしれない。
だったら――
安心できるほど不安になる、みたいな道も、あるのだろうか。
痛みがあるのに、なぜか折れない、みたいな心の持ち方も。
時間は限りがあると、理屈では分かっている。
それでも私は、ときどき麻痺を選びたくなる。
痛みを避けて、快楽ばかり追い求めたくなる。
栄養はほとんどないのに、
砂糖やクリームばかりで生きようとするみたいに。
でも、私は、快楽ボタンを押してもらうことだけを求めるロボットにはなりたくない。
だから、選び直す。
麻痺する没頭じゃなく、
頭が冴える没頭へ。
私は、私の側に戻る。
冴えたまま、進む。
麻痺は悪じゃない。私は、そこに長居しない。
いま欲しいのは快楽? それとも休息?
それだけで、今日は、十分だった。