「相手のため」を貫こうとした女性が、「望みを叶える親切」を極めた先で、社会ごと少しずつ歪めていく思考遊戯
A子は、人に親切にすることが何よりの喜びだった。
困っている人を見つけると放っておけない。
重そうな荷物を持っていれば代わりに持ち、
悩みがありそうなら、時間を忘れて話を聞いた。
「相手のために」と行動することは、
正しくて、美しいことだと信じていた。
けれど、なぜか──
A子の周りから、少しずつ友人がいなくなっていった。
親切にすればするほど、相手の目が曇っていく。
距離を置かれている気配があるのに、理由がわからない。
あるとき、A子は思わず口にした。
「どうして? こんなに“あなたのため”を思ってるのに……」
相手は、それを聞いてさらに困った顔をした。
A子の親切は、たいていの場合、
求められていないところから始まっていた。
相談されてもいないのに人生設計を語り
頼まれてもいないのに予定を調整し
「あなたのためだから」と前置きして
自分の正解を押しつけてしまう。
相手からすれば、それは
「自分の価値観を、善意の名札を付けて突きつけてくる人」に見えた。
しかし、A子本人には、そのニュアンスはまるで伝わっていなかった。
そんなある日のこと。
A子は突然の大病に倒れ、長いあいだ生死の境をさまよった。
手術台の上で、
病室の天井の下で、
身体を動かせない時間が続く中で、
A子は、これまでの人間関係を何度も何度も思い返した。
助けたつもりだった相手の、あの微妙な笑顔。
親切にしたあとに生まれた、妙な気まずさ。
去っていった友人たちの背中。
「もしかして、私がやっていたことは──」
退院の日、病院の玄関を出たとき、
A子の中で、ひとつの結論が形になった。
「そっか。
相手のことを思っている“つもり”で、
結局は自分の気持ちの押しつけだったんだ」
その日からA子は、心の持ち方を変えることにした。
今までは、「自分が正しいと思うこと」を、
相手のためと信じてそのまま行動していた。
これからは、
相手の立場や要望を最優先にすると決めた。
自分が「こうした方が相手のためだ」と感じても、
相手が望んでいないときには、口をつぐむ練習を始めた。
やがてA子は、会話の中でも
「相手が望んでいる言葉」を察して話すのが得意になっていった。
本心を言えば反発されそうな場面では、
相手が安心しそうな答えを選ぶ。
「本音で言ってほしい」と頼まれたときでさえ、
目の前の人が本当に聞きたがっているのは
「本音」ではなく「安心できる言葉」だと知っていた。
だからA子は、
「相手が心地よく受け取れる本音らしきもの」だけを
丁寧に選んで伝えるようになった。
それは、やがて習慣になった。
気づけば、友人や知人は増えていた。
誰もA子を責めないし、みな口を揃えて言った。
「あなたと話すと、救われた気持ちになる」
「A子さんは、いつも私たちの味方でいてくれる」
口コミは広がり、
地域のまとめ役を任され、
さらにその評判は政治の世界へと押し上げていった。
いつの間にか、A子は
「市民の声を聞く政治家」として選挙に担ぎ出され、
当選を重ねるごとに、大きな権限を手にしていった。
A子は、国民が望むことを率先して実現していった。
不満が出た制度は、すぐに見直し
負担に感じる税は、次々と軽くし
我慢を求める政策は、徹底的に避けた。
国民は喜んだ。
「私たちの声を代弁してくれる、優しい政治家だ」と。
しかし、その結果──
国民は、欲望のままに生きることを覚えていった。
長期的な負担を誰も引き受けなくなり、
その場しのぎの給付と迎合で、
社会の土台はゆっくりと削られていった。
街には娯楽があふれ、
「いま楽になれること」だけが評価され、
未来のことを真剣に考える人ほど浮いて見えるようになった。
それでも、A子の支持率は高かった。
A子は考えた。
「多くを救うためなら、多少の犠牲は──
たとえ未来に先送りされる犠牲であっても──
致し方ないのかもしれない」
彼女の中では、それもまた
「多数の要望に応えるという意味での、親切の一種」だった。
そしてA子は、今日もまた
目の前の人々が望む言葉を、迷いなく口にする。
「私は、いつだって皆さんの味方です。
あなたが望むことを、私は代わりに叶えたいのです」
自分の親切が、どこへ向かって世界を押し流しているのかを、
静かに見ないふりをしながら。
親切とは、たしかに尊いものだ。
誰もが自分のことしか考えなくなれば、
この世界は簡単に殺伐としてしまうだろう。
けれど、
「相手のため」だと信じて、自分の正しさを押しつける親切 と、
「相手の望むこと」を何でも叶えようとする親切
は、どちらも極端に振れると、
別のかたちの暴力になりうる。
前者は「支配」として。
後者は「迎合」として。
相手の求めることに応えることが、本当に親切なのか。
道徳に沿っているかどうかは、
たいてい、ある一面だけを見ただけでは判断がつかない。
むしろ、
「誰かのために」と口にした瞬間こそ、
自分は何のために、その親切を選ぼうとしているのか?
と問い直す必要があるのかもしれない。
多くを救うつもりで差し伸べた手が、
いつの間にか誰かを堕落させる支えになっている──
そんなことも、きっと起こりうるのだから。