足元の石を蹴ったつもりで、
蹴っているのは、いつも別の何かだ。――裏思考遊戯
A男は都会の片隅で、単調な仕事を繰り返していた。
朝は起きて、電車に乗って、画面を見て、頭を下げて、帰る。
生きているのに、どこかがずっと欠けている。そんな感覚だけが残る。
唯一の救いは週末のジョギングだった。
息が上がると、頭の中の余計な声が静かになる。
その土曜日も、A男は公園の道を走っていた。
走りながら、ふと考える。
「俺、何をやってるんだろうな」
答えが出る前に、足元に小さな石が見えた。
A男は無意識に、その石を蹴った。
次の瞬間、親指に激痛が走る。
石は軽くない。気分は軽くならない。
痛みだけが、現実みたいに鮮明だった。
そして、最悪の方向に飛んだ。
石は近くの子どもの足元に当たり、子どもは転んだ。泣き声が上がる。
A男は慌てて駆け寄った。
「ごめんなさい、大丈夫ですか……!」
子どもの母親が飛んできた。顔が一気に変わる。
「何を考えてるんですか!? 子どもに当たったじゃない!」
周りの視線が集まる。
誰かがスマホを構える。
A男は言葉を探すが、痛む親指が先に震える。
「違うんです、わざとじゃなくて――」
その一言が、火に油だった。
「わざとじゃなければ許されるんですか? 大人なのに?」
A男は黙るしかなかった。
意図は、証明できない。結果だけが残る。
子どもは泣き止まない。
母親は怒り続ける。
A男は頭を下げ続ける。
気づけば、親指の痛みより、胸の奥が痛かった。
公園を離れると、足を引きずるみたいに帰った。
親指がズキズキと脈を打つたび、思い出す。
「俺は、何を蹴った?」
石?
違う。あれはただの引き金だ。
夜、A男は友人のB男と飲んだ。
話すつもりはなかったが、口が勝手に動いた。
今日の出来事を、全部吐いた。
B男は黙って聞いて、最後にこう言った。
「お前が蹴ったのは、石じゃない」
A男は顔を上げる。
「じゃあ何だよ」
B男は静かに言う。
「自分の苛立ちだよ。行き場のないやつ。
本当は蹴りたいものが別にあるのに、蹴れない。だから足元を蹴る」
A男は反射的に否定しかけた。
でも、親指が痛んだ。
B男は続けた。
「無意識ってのは便利だ。責任を薄める。
でも現実は逆だ。無意識ほど、素で出る。そして一番危ない」
A男は言葉を失った。
自分が怖かった。
ほんの小さな衝動で、誰かが傷つく。
B男は最後に、もう一つだけ言った。
「親指、痛いだろ。
あれ、いい罰だよ。忘れないための。
痛みってのは、言い訳より正直だからな」
数週間後、A男は派手な決断はしなかった。
会社を辞めて人生を変える――みたいな格好いい話でもない。
ただ、ひとつだけ決めた。
足元を蹴らない。
苛立ちが湧いた時、足元の石を探す前に、
その苛立ちの“本当の相手”を見つける。
見つけられないなら、せめて握りしめる。誰かに飛ばさない。
親指の痛みは、しばらく残った。
残ってよかったと思った。
痛みが消えると、人はまた同じことをやる。
さて。
あなたも「足元の石」を蹴ったことがないだろうか。
蹴ったのは石なのか。
それとも、言えなかった怒り、飲み込んだ悔しさ、押し殺した不満なのか。
そしてその石は、誰の足元に飛んでいく?
裏側を言う。
人は、蹴りたいものを蹴らない。蹴れない。
だから、蹴れるものを蹴る。
弱いもの。小さいもの。反撃してこないもの。
足元にあるもの。
「無意識だから仕方ない」は、言い訳としては甘い。
無意識ほど、本人の中身が出る。
そして無意識ほど、周囲に被害が出る。
親指の痛みは、ただの怪我じゃない。
“自分の衝動の行き先”を、身体が覚えるための刻印だ。
あなたがもし、最近よく「足元」が気になるなら。
それは、蹴る前兆かもしれない。
蹴る相手を間違える前に、
自分の中の石を、いったん見つけた方がいい。