「分かりやすくする」のは、案外難しい。
一方で、「分かりにくくする」のは簡単です。
遠回しにすればいい。
言葉を濁せばいい。
誤解の余地を残しておけば、いつでも逃げられるし、ごまかせるから。
でも、本当の意味での分かりやすさは、そこにはありません。
ここで一つ、混同されがちなことがあります。
分かりやすさと、直接的は違うということです。
直接的に言えば、確かに刺さります。
けれどそれは、時に乱暴にもなる。
分かりやすさは乱暴さではなく、理解の深さから生まれる整った言葉だと思います。
そしてもう一つ。
同じ「分かりやすい」でも、安易に寄せた分かりやすさと、妥協せずに削り出した分かりやすさは別物です。
安易な方は、刺激と単純さで、すぐに「分かった気」にさせられる。
けれど、妥協しない方は違う。
複雑さを抱えたままでも逃げずに整理して、納得として届く。
私が言いたいのは、後者です。
分かりやすい表現ほど、実はごまかせません。
小賢しい技はバレやすく、逃げ道も減る。
だからこそ、丁寧に味付けをしていく手間がかかる。
表面的な理解だけでは作れない。
一度、深く理解しないと“整った分かりやすさ”には届かない。
結果がすぐ出やすいテクニックに溺れるほど、
逆に、そこには辿りつけなくなる気がします。
「自動運転はハッキングされて危険」
こういう発想は、分かりやすい。話題にもなる。
面白ければいい。不安を煽ればいい。――確かに拡散もしやすい。
でも、薄いのです。
「自動運転 vs 人間」という対立に置いた瞬間、
思考は止まり、結論も単純になります。
本当に味わい深いのは、
自動運転と人間の“歩み寄り”を考える方向です。
どこまで任せて、どこから人が見るのか。
事故をゼロに近づけるには何が必要か。
責任の持ち方、合意の作り方。
そこにこそ、現実の複雑さと、物語の深さが生まれる。
敵と味方に分けるのは、分かりやすい。
でも、それは分かりやすい“ように見える”だけかもしれません。
なぜなら、その分け方は「楽」だからです。
理解を深めなくても、怒りの置き場所ができてしまう。
けれど、敵が味方になる設定は、簡単ではありません。
考え方が違う者同士が、お互いを認め合わなければ成立しないからです。
何が違うのか。どこが譲れないのか。
それでも、どこに共通点があるのか。
その一歩が重い。だからこそ大変。
そして大変だからこそ、深みが出る。
“分断”ではなく、“歩み寄り”に物語を置けた時、
分かりやすさは、ただの単純さではなく、納得として立ち上がるのだと思います。
流行り言葉を使うのは簡単です。
拾ってくればいいだけだから。
ターゲット層に「わかる」「身近」と感じてもらえるので、便利でもある。
けれど、その言葉が借り物のままだと、
どうしても薄っぺらくなってしまう。
分かりやすさとは、「流行語を並べること」ではなく、
自分の理解を、自分の言葉にして渡すことです。
借り物の言葉は、便利なぶん、魂が抜けやすい。
だから、分かりやすくしたつもりでも、
読み終わったあとに、何も残らないことがある。
人間味を出すのも、実は似ています。
悪い部分を出せば、人間味は出やすい。嫉妬、裏切り、弱さ、卑しさ。
出した瞬間に“それっぽく”なるので簡単です。
でもそれは、安易でもある。
なぜなら、受け手の感情を動かす装置として強すぎて、
理解が浅いままでも成立してしまうからです。
一方で、良い部分を出して人間味を出すのは難しい。
誠実さ、踏みとどまる強さ、見返りを求めない優しさ。
これらは盛ると嘘になるし、薄いと綺麗事に見える。
だからこそ、そこを逃げずに描けた時、
人間味は“簡単な共感”ではなく、味わいとして残るのだと思います。
「努力は報われる」
これを直線的に見せるのは、簡単そうで、実は難しい。
なぜなら、当たり前の出来事を、当たり前のまま感動させるには、
どこをどう表現するかが問われるからです。
最初から強い。
きっかけだけで急に強くなる。
苦労の過程を抜いた方が作りやすい。
でも、それは安易で薄くなる。
薄さがバレないようにするために、
言葉を飾ったり、複雑に見せたりして、ごまかしたくなる。
けれど本当に分かりやすい物語は、
ごまかしではなく、積み重ねの描写で強くなる。
善悪を作るのは簡単、と思われがちですが、実は逆です。
人それぞれ価値観が違うので、
“誰もが納得する善悪”を作るのは難しい。
だから多くは、事件や犯罪のような「有無を言わせない題材」に頼りやすくなる。
それ以外で善悪を作ろうとすると、曖昧にするだけでそれっぽくは作れる。
けれど、それもまた安易で薄くなりやすい。
そのうえで、「これはないだろう」と誰もが感じる善悪を、
しかも納得の形で作るのは大変です。
例えば、タイムマシンの悪用。
それを本気でやるなら、因果や時系列すべてを組み替えて整合性を取る必要がある。
手間が増える。難しくなる。
だからこそ、うまく成立した時の味わいは増す。
さらに、そこから「敵が味方になる」まで描けたら。
善悪が明確なほど、歩み寄りは難しい。
だからこそ、乗り越えて手を取り合えた瞬間は、
分かりやすさが“物語の深さ”になる。
分かりやすさは、誠実さの形。
誤魔化せない場所まで降りていき、相手に届く形に整える。
楽ではない。けれど、だからこそ深さになる。
結局、私が言いたい「分かりやすさ」は、速さでも、強い言い切りでもありません。
複雑さから逃げずに、芯だけを削り出して、相手に渡すことです。
安易な分かりやすさは、刺激で「分かった気」にさせられる。
でも、妥協しない分かりやすさは、読み終わったあとに、静かな納得として残る。
その違いは、テクニックではなく、理解と誠実さに出るのだと思います。
だから私は、遠回しに逃げられる言葉よりも、
手間がかかっても、ごまかせない形の分かりやすさを選びたい。
それが、私にとっての「分かりやすさ」です。
私もまだ練習中ですが、だからこそ「妥協しない分かりやすさ」を選びたいと思いました。
※ここからは私的な追記です。本文とは別枠なので、読み飛ばしていただいても大丈夫です。
ただ今日のテーマを考えているうちに、どうしても思い出してしまった名前がありました。
今さらですが、鳥山明さんに追悼の意を込めて、ここに一文添えさせてください。
※呼び方は人それぞれですが、私は漫画家の方を「先生」とは呼ばないことがあります。敬意と感謝は変わりません。
線の力強さ。分かりやすさ。言葉に頼らない表現。
言い出せばキリがありません。
もう新しいものを楽しめないのは淋しいですが、
私は物語の中では、「クリリンVSマジュニア」が一番好きでした。
何度読んでも胸が熱くなり、味わえます。
そして子どもの頃の私は当然、制作の裏側など考えもしませんでした。
今思えば、「あとちょっとだけ続く」というセリフ一つにさえ、
「これで最後かもしれない」と感じるほどの大変さが、滲んでいたのかもしれない。
1話1話に、どれだけの力を注ぎ込んでいたのか、想像もつきません。
長い短いに関わらず、長年に渡って、何度でも読み返せ愛される作品に共通しているのは、作者だけでなく、バックグラウンドで支えている人達がいるということを忘れてはいけない。
編集者、アシスタント、関係者、当時の担当者の方、そして日々の生活を守る側の人。
その支えがあるからこそ、作者は削り出し続けられる。
そして私たちは、ページをめくるだけで、その結晶を受け取れていたのだと思います。
本当に注ぎ込んでいたのだとしたら、むしろ、長く続けることのほうが不可能に思えてしまう。
だからこそ、あれほど分かりやすく、伝える力の芯がぶれずに強かったのだろうな、と。
私たちは、ページをめくるだけで、あの“分かりやすさ”を受け取っていました。
でも今の私は、その分かりやすさが、どれだけの手間と、どれだけの削り出しの上に立っていたのかを、ようやく想像します。
もう新しい一話は読めない。
けれど、残してくれたものは、今も胸を熱くし、背中を押し続けている。
私は、その一人です。
ちなみにどうでもいいことですが、私が好きなのは16号です。
完全なロボットなのに、人間より優しさで溢れていた。
あの優しさを、私はAIと人間の未来に重ねてしまいます。
そして私が言う「守る」は、仲間内の正義ではなく、声の出ないものの側に立つという意味です。
ありがとうございました。