宝くじから世界平和まで、祈りの内容を変えても現実が変わらない女性と、神様と保険の距離感をめぐる思考遊戯。
A子は、藁をもすがる思いで神に願った。
「どうか、宝くじが当たりますように」
その一言に、すべてが込められていた。
当たれば、借金の苦しみから抜け出せる。
この行き詰まりから、まとめて解放される──はずだった。
涙ぐみながら、毎晩、手を合わせた。
しばらくして、A子の頭の中に、ふと声が響いた。
それは、どこからともなく、しかしはっきりと届いた。
──神の声だった。
「お前のような欲深い人間に、
神である私が願いを叶えてやるわけがないだろう」
落ち着いた、しかし冷ややかな声だった。
「そんな願いをいちいち叶えていれば、
願望成就のオンパレードになってしまい、
世界はすぐに秩序を失って崩壊するだろう」
A子は肩を落としながらも、どこか納得してしまった。
「……たしかに、そうかもしれません。
分かりました。これからは、欲深い願いはやめます。
全世界の平和だけを、祈ることにします」
その日から、A子は祈りの言葉を変えた。
「世界が平和でありますように」
「戦争や苦しみが少しでも減りますように」
自分のことはいったん脇に置き、
「大勢の人のため」を願い続けた。
──それでも、A子の生活は何ひとつ変わらなかった。
借金は減らない。
仕事も増えない。
現実の数字は、相変わらず冷たかった。
ある日、A子はとうとう問いただした。
「神様。
私は我欲を捨てて、自分以外の多くの人のために祈ってきました。
それなのに、なぜ何も変わらないのですか?」
神は、心の奥をそのまま透かし見るような声で答えた。
「そんな、見返りを求めるようなやましい気持ちが、
正しく伝わるはずがないだろう。
それに、お前は“全世界の平和”と、
あまりにも漠然とした願い方をしている。
何をどうしたいのかも示さずに、
結果が出ないのを私のせいにされても困る」
A子は口ごもった。
「でも……神様が“欲深い願いはやめろ”とおっしゃったのではありませんか。
私はどうすればいいのです?」
神は、ため息をついたような気配を漂わせて答えた。
「決まっているだろう。努力することだよ」
A子は思わず反発した。
「私はずっと、精一杯努力してきました。
働いて、節約して、頭を下げて……。
それでもどうにもならなかったから、
こうして神様に祈っているのです」
神は穏やかに言った。
「結果がどうあれ、努力すること自体が大切なのだ。
それに、お前は“何も変わっていない”と言うが──
こうして今、私の声が聞こえるようになったではないか」
A子は言い返した。
「でも、神様の声が聞こえるだけでは意味がありません。
私は困っているからこそ、頼りにしているのです。
どうにかしてください。何か、具体的に……」
神は、少し呆れたような声になった。
「なるほど。何かあった時だけの、神頼みというわけか。
そういう意味では、確実な方法が一つある」
A子は身を乗り出した。
「……その方法とは?」
神は答えた。
「『保険』に加入することだよ」
A子は一瞬、耳を疑った。
「……私を馬鹿にしないでください。
それくらい知っています。
保険なんて、結局は胴元が儲かるだけじゃないですか」
神は、くすりと笑ったようだった。
「それは、神頼みも同じではないのか?
起きてほしくない事態のために備えているつもりで、
実際には、何かが起きた後で『どうにかしてくれるはずだ』と
安心したいだけなのだろう?
しかも、どちらも──
“本当に起きてしまった最悪の事態”に対して、
完全な保証はしてくれない」
A子は黙り込んだ。
「お前は、どうにもならなくなったあとで、
私に責任を押しつけようとしている。
だが、切羽詰まったときには、
すでに打てる手が少ないことくらい、
薄々分かっているのではないか?」
A子は、反論できなかった。
神は、少しだけ声を柔らかくして続けた。
「人智を超えた存在の“価値”を求めるのは、
別に悪いことではない。
だが、本当に大切なのは、
切迫する前に、手を打っておくことだ。
もっとも、それが出来ていれば、
お前は今、私の声を聞いていないのかもしれないが……」
A子は、どうしようもないやるせなさと、
どこかで納得してしまう自分の感覚の両方を抱えたまま、
ただ静かに、手を合わせ続けるしかなかった。
どうにもならなくなったとき、
人智を超えた何かにすがりたくなるのは、
おそらく人の心の自然な働きなのだろう。
その意味では、「神頼み」は、
ある種の精神的な保険に似ている。
自分ではどうにもできない事態が怖い
その恐怖に押しつぶされないために、
「いざとなったら守ってくれる存在がいる」と信じたくなる
保険と違うのは、
神は「契約内容」も「支払い条件」も明文化してくれない点だ。
だからこそ、
「本当に守られているのか」「自分の祈りは届いているのか」が、
いつまでも確かめられない。
切迫した状況に追い込まれたとき、
すでに打てる手が限られているのは、
保険でも、祈りでも、あまり変わらないのかもしれない。
だとすれば、人智を超えた存在の価値は、
「すべてを解決してくれること」ではなく、
まだ切迫していない段階で
自分の行動や選択を見直すきっかけをくれる
そのあたりにあるのかもしれない。
もっとも、
「切迫する前に、手を打っておくこと」が
難しいからこそ、人は今日もまた、
何かに祈りたくなるのだろうが──。