証拠を消すより先に、監査そのものが消される――裏思考遊戯。
大手企業で、A男は若手社員として働いていた。
ある日突然、内部監査チームに放り込まれた。昇進でも栄転でもない。配置転換の顔をした、隔離に近い。
仕事は単純だ。
データを洗い、不正の匂いを拾い、レポートにする。
A男は妙に燃えた。自分は正しい側に立てる、と。
そして、見つけた。
大きすぎる穴。帳簿の整い方が不自然で、整っているほど臭い。
取引先、金額、承認ルート。上層の名前が綺麗に出る。
A男は上司のB男に報告した。
「B男さん、こちら……アウトです。かなり深いです」
B男は画面を見て、数秒だけ黙った。
それから、綺麗な声で言った。
「君の発見は重要だ。
ただ、まず“もう一度”確認しよう。監査は慎重さが命だ」
A男は分かった。
これは確認じゃない。時間稼ぎだ。
翌日も、結論は変わらない。
A男はもう一度言った。
「確認しました。結論は変わりません。
この内容は、見過ごせないレベルです。犯罪に近いと思います」
B男は少しだけ眉を動かした。
「君の意見は分かる。
だが、上の指示が来た。データを削除して、なかったことにしろ」
A男の中で、何かが冷えた。
監査って何だ。倫理って何だ。
守るべき“会社”が、まず“正しさ”を殺しにくる。
A男は言った。
「申し訳ありません。削除はできません」
B男は静かに返した。
「なら、君の立場が削られる」
言い方が正確すぎて、笑えなかった。
その夜、A男は眠れなかった。
正義を通す。内部告発をする。
それは正しい。たぶん。
でも、正しいだけで片づく話じゃないのも分かる。
翌朝、A男は机に座り、準備を始めた。
データのバックアップ。証跡の保存。時系列の整理。
“これが残れば勝てる”と信じた。
だが、昼前に、社内アカウントが落ちた。
アクセス権が消えた。ログインできない。
監査ツールの履歴から、A男の操作記録が薄くなる。
A男は青ざめた。
証拠を消してるんじゃない。
監査を消してる。
B男が現れた。顔は丁寧だ。丁寧すぎる。
「君は疲れている。
監査チームから外れる。休んだ方がいい」
A男は喉の奥を絞って言った。
「B男さん……私の操作ログが消えています。
これは、どういうことですか」
B男は首を傾げた。
「何を言ってる。ログは正常だ。
君は最初から、その案件に触れていない」
A男は一瞬、言葉を失った。
“触れていない”ことにされる。
“発見していない”ことにされる。
“存在していない”ことにされる。
A男は、ポケットの中のUSBを握った。
残っている。自分の手元には残っている。
でも、会社の世界では、A男の行動が最初から無かったことになっていく。
それでもA男は外へ出た。
告発した。情報は流れた。世間は揺れた。
けれど、次に出たのは真実じゃない。物語だった。
「若手の妄想」
「恨みによる捏造」
「社内データの不正持ち出し」
「組織の秩序を壊した人物」
会社は“被害者の顔”を作った。
メディアは分かりやすい悪役を求めた。
悪役は、いつだって一人でいい。
騒動の末、会社は大打撃を受けた。
取引は揺れ、株価は崩れ、組織は再編され、切られる人間が出た。
だが、上層はどこかへ移る。名前を変えて生き残る。
消えるのは、現場だ。
消えるのは、同僚だ。
消えるのは、家族の生活だ。
数年後。
A男は別の職場で働いていた。
正しさの話をすると、喉が渇く。
自分がやったことは正しい。たぶん。
でも、正しい結果だけが残ったわけじゃない。
A男の中には、まだ残る。
「正義を通すために、何を犠牲にすべきだった?」
「“会社を守る”ために不正を見逃すのが、正しかったのか?」
「それとも、正義のやり方が間違っていたのか?」
さて。
あなたがもし、監査の立場に立って、削除を命じられたら。
削除するのはデータか。沈黙か。自分自身か。
その瞬間、何が一番先に消えると思う?
裏側を言う。
不正の現場で一番怖いのは、証拠を消すことじゃない。
監査を消すことだ。
“正しい人”は便利だ。
正しい人がいると、組織は安心できる。
でも同時に、正しい人は危険だ。
危険だから、組織は先に「その人の居場所」を削る。
ここで逆転が起きる。
正義は、強い武器に見える。
でも実際は、使い方を間違えると、自分の首を一番早く締める。
なぜなら相手は、事実ではなく物語で戦ってくるからだ。
事実を潰す
記録を薄める
手続きを盾にする
そして、語り手を悪役にする
「監査の削除」とは、そういう構造そのもの。
問いは、こうだ。
正義は必要だ。
でも、正義だけで勝てると思った瞬間、
正義は餌に変わる。
あなたが守りたいものは、何だろう。
会社の信用か。社会の公正か。生活か。人か。
その優先順位を、誰が決めている?
そして、その優先順位は、本当にあなたのものだろうか。