遠回りにも、意味はあるのかもしれない。失敗や気づきを、物語・歌・動画にしています。
確率は、誰にでも平等に見える。
けれど実際には、追いかけるほど逃げていくように感じることがある。
当たりを狙い続けた男が、最後に別の場所で「当たり」を引く小さな思考遊戯。
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Aは、根っからのギャンブル好きだった。
勝つことそのものが好きというより、
「一発で全部をひっくり返せるかもしれない」
という感覚に取り憑かれていた。
競馬、競輪、宝くじ、カジノ、パチンコ。
人が「運」と呼ぶものに、どこまで理屈が食い込めるのか。
Aはそれを確かめるように、次々と手を出していった。
もちろん、ただ無計画に賭けていたわけではない。
過去の出目、統計、還元率、胴元の取り分。
勝率を少しでも上げられそうなものは、徹底的に調べた。
だが、調べれば調べるほど、見えてくる結論は同じだった。
普通の方法では、どうやっても胴元の取り分を上回れない。
必勝法を探しているつもりが、
実際には「勝てない仕組み」を証明し続けているようなものだった。
Aは、その現実にうすうす気づきながらも、やめられなかった。
「なら、ゼロサムゲームならどうだ」
Aが次に目をつけたのは、FXだった。
誰かの損が誰かの得になる。
理屈のうえでは、上がるか下がるか。二分の一にも思えた。
「これなら、胴元の取り分さえなければ五分五分のはずだ」
Aは、そう信じてのめり込んだ。
チャートを開き、過去の値動きを検証し、
経済指標を調べ、ニュースを追い、
ローソク足の形、時間帯、相場心理、あらゆる手法を試した。
ところが、FXはAの想像よりずっとたちが悪かった。
買えば下がる。
売れば上がる。
待てば動かず、諦めた瞬間にだけ、その方向へ走る。
まるで一部の人間だけが先に答えを知っていて、
その者たちの利益のために値が動いているかのようにさえ見えた。
Aは何度も思った。
「こんなもの、本当に二分の一なのか?」
だが、確かめれば確かめるほど、
勝率が極端にねじ曲がっている証拠は見つからなかった。
あるのは、読めたと思った瞬間に崩れる自分の感覚と、
積み重なる小さな損失ばかりだった。
それでもAは諦めなかった。
むしろ、攻略精度が上がれば上がるほど、
あと少しで抜けられるような気がした。
実際、以前よりは無駄なエントリーも減った。
大きく負けることも少なくなった。
ただ、そのぶん別のものがAを削っていった。
手数料だった。
無駄を減らし、精度を上げ、勝率を整えれば整えるほど、
今度はスプレッドや手数料のような「わずかな差」が、
静かに利益を食っていく。
Aは気づいた。
「当てにいくほど、当てた分が消えていく」
その感覚は、妙に腹立たしかった。
勝てないのではない。
勝っても、どこかで均されるのだ。
そこでAは、発想を変えた。
理屈がダメなら、理屈の外に賭けてみようと思ったのだ。
「明日は上がるか。下がるか」
それだけを、複数の有名な占い師に金を払って尋ねることにした。
テレビで見た顔。
雑誌で特集されていた名前。
当たると評判の者ばかりを選んだ。
それぞれが、もっともらしいことを言った。
星の巡り。
月の満ち欠け。
エネルギーの流れ。
大衆心理の波動。
Aは、それらを一つずつノートに書き写し、
最後に「上がる」「下がる」の人数だけを数えた。
そして、多い方へ賭けることにした。
結果は――結局、同じだった。
勝つ日もある。
負ける日もある。
長く続ければ、やはり同じあたりに落ち着いていく。
占いでも、分析でも、勘でも、
確率は、どこかで元の位置へ戻っていくようだった。
Aはようやく思い知った。
確率そのものは、変えられない。
どれだけ工夫しても、
どれだけ意味を与えても、
上がるものは上がり、下がるものは下がる。
そのたびに人は「読めた」「読めなかった」と騒ぐが、
確率の側は、最初から何も言っていないのかもしれなかった。
Aは、ひどく疲れた。
勝とうとしてきた時間。
検証に費やした夜。
当たるはずだと思って外れたたびに飲み込んできた苛立ち。
その全部が、胸の奥に重く溜まっていた。
ある日、Aはそのストレスを吐き出すため、
これまでの体験を一冊の本にまとめてみることにした。
ギャンブルで何を考え、
FXでどれだけ振り回され、
占いにまで頼って、それでも結局同じところへ戻ってきたこと。
攻略法ではなく、
攻略できなかった人間の記録として書いた。
半ば投げやりに、半ば意地のように。
すると、その本が思いのほか売れた。
かなりの冊数が出た。
感想も届いた。
「面白かった」
「笑った」
「妙に分かる」
「自分も似たようなことをした」
Aは、拍子抜けするほどあっさり「当たって」しまった。
勝とうとして賭け続けた場所では当たらず、
吐き出しただけの場所で当たったのだ。
Aは、売上の数字を眺めながら思った。
「何が当たるかなんて、本当に分からないものだ」
当たるか、外れるか。
そう見れば、たしかに二分の一なのかもしれない。
だがその「当たり」が、
自分の狙っていた場所に来るとは限らない。
Aは、また一つ思い知ったのだった。
人は、当てようとした場所ではなく、
外れ続けた先で、別の当たりに出会うことがあるのかもしれない、と。
―――――
ビギナーズラックという言葉がある。
これは、初心者もベテランも、結局は同じ確率の前に立たされているからこそ成立するのかもしれない。
むしろ初心者は、余計な意味づけや恐れが少ないぶん、
確率に対して素直でいられるとも言える。
経験を積んだ側は、知識が増えるほど「読める気」になり、
その確信がかえって手を曇らせることもある。
やればやるほど結果が出なくなる。
考えれば考えるほど外れていく。
そうしたことは、確率の世界では珍しくない。
もちろん、技術や情報で差が生まれる場面もあるだろう。
だが少なくとも、過去に続いた流れが、そのまま次の結果を保証してくれるわけではない。
どれだけ連勝しても、どれだけ連敗しても、そのたびに確率はリセットされる。
逆もまた然りである。
だからこそ人は、
偶然を運命と呼び、
偏りを法則と呼び、
当たり外れに意味を見出したくなるのかもしれない。
では、本当に変えられないのは「確率」そのものなのか。
それとも、人が当たりと呼ぶ場所のほうなのだろうか。
探すのをやめた日
「探すのをやめた日」
夜の静寂に 計算を刻む
正解の影を 追いかけ疲れて
空回りする 僕の独り言
掴もうとするほど 指を抜けていく
出口のない 迷路の出口を
探し続けた 孤独な帰り道
どこにもない「当たり」を 信じてた
諦めの淵に 君が立っていた
(サビ)
探すのをやめたら 奇跡に触れられた
当たり前のような 今日が「当たり」だった
何億分の一の 偶然の中で
君と笑ってる それだけで十分さ
期待を手放した 静かな瞬間に
君とふと目が合う 魔法が解けたように
何気ない会話が 止まった時計を動かした
特別な理由なんて どこにもなかった
探すのをやめたら 奇跡に触れられた
当たり前のような 今日が「当たり」だった
何億分の一の 偶然の中で
君と笑ってる それだけで十分さ
何億分の一の 確率を超えて
偶然じゃない 奇跡の隣で
君と笑ってる それだけで十分さ
探すのをやめたら 奇跡に触れられた
当たり前のような 今日が「当たり」だった
もう何もいらない ここにいるだけで
最高の「当たり」を
引いていたんだね