遠回りにも、意味はあるのかもしれない。失敗や気づきを、物語・歌・動画にしています。
A子は、権力者の側で働いていた。
だからこそ、民の力がいつか卑劣な支配を打ち破ると信じていた。
団結と扇動をめぐる小さな思考遊戯。
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A子は、権力者の側で働いていた。
表向きには、立派な仕事だった。
大きな組織の中で、多くの人に影響を与える決定の近くにいる。
周囲からは、恵まれた立場だと思われていた。
けれどA子は、その場所にいるからこそ、何度も見てきた。
きれいな言葉の裏で、人が切り捨てられるところ。
大義名分の陰で、都合の悪い事実が隠されるところ。
民のためと言いながら、本当には民の方など見ていない会議。
権力者たちは、いつも穏やかな顔をしていた。
声を荒げることは少ない。
机を叩くこともない。
むしろ、よく整った言葉で話す。
「社会の安定のために」
「混乱を避けるために」
「皆さまの理解を得ながら」
「丁寧に説明していく必要があります」
そう言いながら、実際には都合の悪いものを遠ざけ、都合のいいものだけを前に出す。
A子は、その光景を見るたびに、胸の奥が冷たくなった。
けれど同時に、希望も持っていた。
どれほど大きな権力であっても、永遠には続かない。
歴史の中で、民は何度も立ち上がってきた。
支配され、搾取され、声を奪われても、最後には誰かが声を上げる。
その声が別の声を呼び、やがて大きなうねりとなる。
民が団結したとき、権力者は倒れる。
A子は、そう信じていた。
「いつか、民が気づく」
そう思うことで、A子は権力者の側にいながらも、かろうじて自分を保っていた。
そして、ネットの時代が来た。
A子は、それを喜んだ。
昔なら、離れた場所にいる人々が同じ怒りや違和感を共有するには、時間がかかった。
集まるにも、伝えるにも、組織するにも、大きな労力が必要だった。
しかし今は違う。
一つの言葉が、瞬時に広がる。
一つの映像が、何万人にも届く。
一つのハッシュタグで、同じ問題に関心を持つ人々が集まる。
A子は、その光景に胸を熱くした。
「これなら、民はもっと早く団結できる」
権力者が何かを隠しても、誰かが見つける。
不正があれば、誰かが記録する。
理不尽があれば、すぐに共有される。
もう、民は孤立しない。
もう、一人ひとりの小さな声で終わらない。
A子には、そう見えた。
実際、ネット上では多くの声が集まるようになった。
怒り。
悲しみ。
疑問。
抗議。
告発。
共感。
それらは、かつてない速さで広がった。
A子は思った。
「民の力は、これまでよりずっと強くなった」
だが、その喜びは長く続かなかった。
しばらくして、A子は気づき始めた。
たしかに、人々は団結していた。
たしかに、同じ方向を向く速度は速くなっていた。
けれど、その攻撃の先にいるのは、必ずしも権力者ではなかった。
むしろ、同じ民だった。
少し失言した人。
昔の投稿を掘り返された人。
言い方を間違えた人。
事情を説明する前に、悪意があると決めつけられた人。
たまたま切り取られた場面だけで、人格まで裁かれた人。
人々は一斉に集まり、一斉に怒り、一斉に石を投げた。
その姿は、かつてA子が思い描いていた団結とは違っていた。
権力に向かうための力ではない。
目の前の一人を燃やし尽くすための力だった。
「これは……民の力なの?」
A子は、画面の中で次々と人が責められていく様子を見つめながら、言葉を失った。
最初は、正義のために見えた。
誰かを傷つけた人が、責任を問われているように見えた。
けれど、途中から違っていた。
事実を確認するよりも先に、怒りが広がる。
事情を聞くよりも先に、断罪が始まる。
本人が謝罪しても、もう遅い。
謝罪の言葉にも、また裏があると疑われる。
やがて人々は、何を裁いているのか分からなくなっていった。
ただ、誰かを責めることで、自分が正しい側に立てる。
誰かを燃やすことで、自分の中の苛立ちを一瞬だけ外へ出せる。
それだけが、繰り返されているように見えた。
A子は思った。
「人は、いとも簡単に、一人の人間を一斉に攻撃する道具を手に入れてしまったのだろうか」
A子は悲しんだ。
だが、それでもまだ、偶然の暴走だと思っていた。
人々が未熟なだけ。
使い方を間違えているだけ。
本来の民の力は、こんなものではない。
そう思いたかった。
しかし、権力者の側で働くA子は、やがてさらに嫌なものを見てしまった。
それは、偶然ではなかった。
会議室で、権力者たちは冷静に話していた。
「民が団結してこちらへ向かってくるのが、もっとも厄介だ」
一人がそう言った。
別の一人が、資料をめくりながらうなずいた。
「歴史を見れば明らかです。権力を倒してきたのは、いつも民の団結です。ならば、団結の方向を変えればいい」
A子の背筋が冷えた。
「方向を変える?」
「ええ。こちらに向かう怒りを、民同士へ向けさせるのです」
その場にいた者たちは、誰も驚かなかった。
まるで、天気の話でもしているようだった。
「自由に発言できる場所を与えればよいのです」
「民は自分たちの怒りを吐き出せる」
「こちらは、その流れを観察できる」
「必要なときに、少しだけ火種を投げればいい」
A子は、拳を握りしめた。
権力者たちは、民の怒りを恐れていた。
だから、その怒りを消そうとはしなかった。
むしろ、場所を与えた。
言葉を与えた。
標的を与えた。
自由の名のもとに、民が互いを監視し、疑い、攻撃し合う空間を整えたのだ。
そこでは、誰も命令されていない。
誰も強制されていない。
人々は、自分の意思で怒っていると思っている。
だが、その怒りがどこへ流れるかは、巧みに誘導されていた。
権力者たちは、それをよく知っていた。
民は、団結すると強い。
けれど、団結した瞬間、その集団は一つの巨大な生き物のように動き出す。
一人ひとりの慎重さは薄れ、責任感も薄れていく。
「みんなが言っている」
「みんなが怒っている」
「みんなが許せないと言っている」
その「みんな」の中に入った瞬間、個人の判断は曖昧になる。
誰が最初に石を投げたのか。
誰が止めるべきだったのか。
誰が傷つけた責任を負うのか。
誰にも分からなくなる。
A子は、権力者の一人が笑いながら言うのを聞いた。
「民の力を利用するには、内容は関係ない。強い印象を残せれば、それでいい」
その一言に、A子は吐き気を覚えた。
内容ではない。
正しさでもない。
事実でもない。
強い印象。
怒りやすい言葉。
分かりやすい敵。
切り取りやすい場面。
拡散しやすい短い一文。
それだけで、民の力は動く。
権力者は、それを知っていた。
かつて民が権力を倒すために使った力は、今では権力者の手によって、民同士を潰し合わせる力に変えられていた。
日々の生活に余裕のない民は、怒りのはけ口を求めていた。
生活に余裕のある民は、退屈しのぎに騒ぎへ加わった。
どちらも、自分が大きな仕組みの中で使われているとは思っていなかった。
ただ、正しいことをしていると思っていた。
ただ、悪い人を責めていると思っていた。
ただ、社会をよくするために声を上げていると思っていた。
A子は、その姿を見るたびに、胸が締めつけられた。
「お騒がせしてすみません」
かつては、騒ぎを起こすことは恥だった。
人に迷惑をかけたとき、静かに頭を下げる言葉だった。
だが、いつの間にか、騒ぎを起こすことそのものが価値になっていた。
物議を醸す。
炎上する。
賛否を呼ぶ。
議論を巻き起こす。
その言葉の裏で、実際には人々の注意が奪われていた。
考える力が削られていた。
疲れ切った民は、深く考える前に次の騒ぎへ流れていった。
昨日の怒りは、今日の怒りに上書きされる。
今日の標的は、明日の標的にすり替わる。
その間に、権力者たちは静かに本当の決定を進めていく。
A子は、ようやく理解した。
民の力は、まだ強い。
だからこそ、権力者はそれを恐れている。
だからこそ、権力者はそれを正面から潰さない。
利用するのだ。
民を黙らせるのではない。
むしろ、いくらでも喋らせる。
民から力を奪うのではない。
むしろ、力を使わせる。
ただし、その力が権力者へ向かわないように、民同士へ向けさせる。
民の力は、権力を倒すためではなく、権力を守るために使われ始めていた。
その事実を知ったとき、A子は立ち尽くした。
画面の向こうでは、また新しい騒ぎが起きていた。
人々は怒っていた。
誰かを責めていた。
正義の言葉を叫んでいた。
その背後で、権力者たちは静かに笑っていた。
A子は、かつて自分が信じていた言葉を思い出した。
民が団結すれば、権力者を倒せる。
だが今、目の前にある世界では、その団結さえも管理されていた。
A子は小さく呟いた。
「民の力は、誰のものになってしまったのだろう」
その声は、次の炎上の音にかき消された。
―――――
民の力は、たしかに大きい。
歴史の中で、支配される側にいた人々が声を上げ、団結し、大きな権力を揺さぶってきたことは何度もある。
一人では届かない声も、集まれば形になる。
一人では踏み出せない行動も、仲間がいれば動き出せる。
その意味で、民の団結は希望である。
だが、力は希望であると同時に、利用されるものでもある。
人々が集まる。
同じ言葉を使う。
同じ怒りを共有する。
同じ標的へ向かう。
その瞬間、個人の思考は少しずつ薄まり、集団の熱だけが前に出ることがある。
何が本当なのか。
誰が得をしているのか。
その怒りは、どこへ向けられているのか。
それを考える前に、次の言葉が投げ込まれる。
自由に発言できる場は、たしかに大切だ。
声を上げられる場所がなければ、不正や理不尽は見えないままになる。
けれど、その自由が、民同士を消耗させるための広場として設計されている可能性もある。
怒りを吐き出す場所。
誰かを責める場所。
正義の側に立った気分になれる場所。
そのすべてが、権力者にとって都合のいい排気口になっているとしたら。
民は声を奪われているのではない。
むしろ、声を出し続けることで、考える力を奪われているのかもしれない。
もちろん、声を上げること自体が間違いなのではない。
沈黙すれば、権力はさらに楽になる。
何も言わなければ、理不尽はなかったことにされる。
だからこそ問題は、声を上げるかどうかではなく、その声がどこへ向かっているのかである。
権力の構造へ向かっているのか。
それとも、同じ立場の誰かを燃やすことで終わっているのか。
今の時代、魔女狩りは特別な出来事ではなくなっているのかもしれない。
誰かが炎上する。
誰かが吊るし上げられる。
誰かが「叩いてもいい存在」として扱われる。
それが毎日のように繰り返されると、人はその異常さに少しずつ慣れていく。
かつての魔女狩りは、広場で行われていた。
今の魔女狩りは、画面の中で行われる。
そしてもし、その対象を、ずる賢い権力者が分からないように差し出していたとしたらどうだろう。
民衆は、自分たちの正義で裁いているつもりになる。
悪を見つけ、罰し、世界を少し清めたような気持ちになる。
けれど実際には、怒りの矛先を与えられ、燃やす相手を選ばされているだけなのかもしれない。
本当に恐ろしいのは、民衆が怒ることそのものではない。
誰に怒ればいいのかを、誰かに決められていることに気づかないことだ。
怒りは、民を動かす。
だが、怒りだけでは、民は簡単に動かされる。
民の力を恐れていた権力者が、民の力を利用できるようになったとき、支配はより巧妙になる。
その支配は、命令の形をしていない。
検閲の形もしていない。
むしろ、自由、参加、発言、共感、正義のような魅力的な言葉の形をしている。
だから見えにくい。
自分たちは声を上げている。
自分たちは戦っている。
自分たちは権力に抗っている。
そう信じているその瞬間に、実は権力者が用意した別の標的へ誘導されている可能性がある。
「あいつが悪い」
「あの人を叩け」
「あの集団こそ問題だ」
そうして人々が互いに火をつけ合っている間、
本当に見られるべき場所は、静かに視界の外へ逃げていく。
魔女狩りが日常になった社会では、炎の明るさばかりが目立つ。
だが、その炎で照らされていない暗がりに、誰が薪を置いたのか。
そこを見ようとしない限り、民の怒りは、権力を倒す力ではなく、権力を守るための火として使われ続けるのかもしれない。
では、民の力はどうすれば民のものとして残るのか。
きっと、団結そのものを疑う必要はない。
ただ、その団結が誰を助け、誰を傷つけ、誰を楽にしているのかを、何度も確かめる必要がある。
声を上げる前に。
誰かを責める前に。
同じ怒りの輪に加わる前に。
その怒りは、本当に上へ向かっているのか。
それとも、横にいる誰かを傷つけることで、上にいる誰かを守っているのか。
民の力は、今も大きい。
だからこそ、その力がどこへ流れているのかを見失ったとき、もっとも喜ぶのは誰なのか。
そして、いま燃やされているものは、本当に悪なのか。
それとも、誰かが差し出した身代わりなのか。
その問いだけは、手放さない方がいいのかもしれない。