未来を当てるほど、人は安心する。
けれど安心の裏で、静かに“責任の置き場所”が移動していく。そんな思考遊戯。
A男は、予測の達人だった。
経験と知識を積み上げ、危機のたびに最善手を選び続けてきた。
だからこそ、人々はA男に任せた。
今回もまた、任務はA男の手に委ねられた。
目の前には爆弾。
切るべき線は二本。
赤か。青か。
間違えれば死ぬ。
しかも、死ぬのは自分だけではない。
多くの人の命がかかっている。
いくらA男が予測の達人でも、爆弾が設置された過去は変えられない。
どちらを切れば助かるか――その答えは、もう“決まっている”。
だからといって、適当に直感に従うわけにもいかなかった。
「生き残るも死ぬも運命だ」
そんな悟ったふりをして、コイン投げや神頼みに逃げることもできない。
万が一は許されない。
許される余地がないのだ。
A男は、息を整えた。
「……もう一度だ」
持てる知識と経験のすべてを絞り、
あらゆる角度から可能性を洗い直し、確率を上げる。
だが、どれだけやっても、100%にはならない。
見落としがあるかもしれない。
穴があるかもしれない。
「全ての可能性」と言った瞬間に、
“全てではない”可能性が生まれてしまう。
どうしても、運任せの面が残る。
――その時だった。
扉が開き、最新の装置が運び込まれた。
まだ試験運用に入ったばかりの、最新鋭。
その装置には、あらゆる角度から全ての可能性を探り、
100%の確率を導き出せるプログラムが搭載されていた。
A男は、思わず息を呑んだ。
「これで……安心して切れる」
その瞬間、別の声が頭の中で囁いた。
「仮にこのプログラムが不完全でも、それは俺のせいじゃない」
責任が、軽くなる。
胸の圧が、ふっと抜ける。
だが同時に、A男は自分に嫌気が差した。
「……それでいいのか?」
A男は、装置を見つめた。
「俺だけじゃない。多くの命がかかっている」
「本当に“機械のせい”にしていいのか?」
「この装置が正しい可能性は、どれくらいある?」
「そもそも、“100%”って何の100%だ?」
確率の言葉が、責任の言葉に変わっていく。
A男は、指を動かせなくなった。
時間だけが削れていく。
「決めろ」
「決めろ」
「決めろ」
誰も言っていないのに、周囲の空気がそう言っていた。
その時。
「ドカン!」
爆発音がした――ような気がした。
A男は反射的に身構えたが、何も起きなかった。
爆弾は、まだそこにある。
カウントも止まっている。
そして、赤い線が、すでに切られていた。
A男は凍りついた。
「……誰が切った?」
隣にいた作業員が、淡々と答えた。
「あなたが迷っている間に、こちらで対応しました」
A男は、怒りというより、恐怖に近い感情で問い返した。
「なぜ赤だと分かった?」
作業員は、装置を指さした。
「その装置が届く前に、もう結論が出ていました」
「あなたが“装置を使うかどうか判断する時間”が足りず、間に合わない」
「だから、あなたが迷うことも含めて、事なきを得ると予測されていたんです」
A男は、言葉を失った。
装置は、答えを出したのではない。
答えを出すまでの人間の迷いまで、計算していた。
A男は、装置の画面を見た。
そこには、冷たい文字でこう表示されていた。
「結果:赤」
「補足:A男の判断は時間切れ」
「補足:第三者が赤を切る確率:99.98%」
「補足:爆発は起きない」
A男は、背筋が冷えた。
そして、予測した。
この装置が広まった未来を。
「これで、人類の運命は決まった」
「自由意志は……なくなっていく」
作業員が首をかしげた。
「でも、助かったじゃないですか」
「それでいいのでは?」
A男は、すぐに答えられなかった。
助かった。
確かに助かった。
けれどその助かり方は、
“自分が選んだ結果”ではなく、
“装置が用意した結果”のようにも感じた。
A男は、赤い線の切れ端を見つめた。
そして、誰にも聞こえない声で呟いた。
「……次は、俺が押すんじゃない」
「俺が押すと思っている“俺”が、押させられるだけだ」
情報処理と計算速度が、人間の想像を超えた地点に到達すれば、
未来を“予測できる確率”は上がっていく。
量子コンピューターのような技術が進化すれば、なおさらだ。
もちろん、100%に到達するとは限らない。
世界は複雑で、偶然も、未知も、常に残る。
それでも、予測が高確率になればなるほど、
人はこう考え始める。
「未来は決まっているのではないか」
そして、もっと厄介なのはここからだ。
予測が当たれば当たるほど、
人は安心する。
同時に、責任を手放しやすくなる。
「機械がそう言った」
「データがそう示した」
「確率が高かった」
それは便利な言い方だ。
しかしその便利さは、いつの間にか、
自分の選択の“重み”を薄くしてしまう。
予測が進化した未来で失われるのは、
自由意志そのものではないのかもしれない。
失われるのは、
自由意志を引き受ける覚悟のほうなのかもしれない。
あなたが「正しい」と感じる判断は、
自分が選んだものだろうか。
それとも、選んだことにしたい“便利な答え”だろうか。