人は結果だけを見たい。
でも結果の裏には、いつも小さな代償が隠れている。そんな思考遊戯。
A男は、新商品の開発に勤しんでいた。
新商品は、お菓子の一種だった。
食べると脳内に快楽物質が生じ、気分が軽くなる。
つまり、「とても美味しい」だけでなく「とても楽になる」と感じさせる商品だ。
A男はストレス社会の激減を願っていた。
だからこの商品が形になっていくほど、胸の奥が温かくなった。
試作品はいくつも完成した。
「これで人々は、こぞって手に取り、買い求め、食べるだろう」
A男の頭には、笑顔が浮かんだ。
疲れた顔がほどけ、肩の力が抜け、ふっと息がつける人々。
それだけで、この仕事には価値があると思えた。
ただ、一つだけ気がかりがあった。
このお菓子は確かにストレスを軽減する。
その見返りとして、健康リスクが“わずかに”増える。
そして寿命が、ほんの少しだけ縮む可能性がある。
もちろん検査は通っている。
数値上は許容範囲だ。
危険と呼ぶほどのものではない。
A男は自分に言い聞かせた。
「わずかだ」
「誰かを傷つけたいわけじゃない」
「結果として、多くの人が喜ぶ」
そして結論を出した。
「だから、これでいい」
発売は成功した。
店頭から消えるほど売れた。
SNSには称賛が溢れた。
“癒やし”“ご褒美”“神”“救われた”。
人々は軽くなり、A男は安心した。
……最初のうちは。
ある日、A男はふと、同じ顔を見た。
疲れているのに笑っている顔。
楽になっているはずなのに、また何かを欲している顔。
買い足し。
まとめ買い。
箱買い。
「やめられない」。
「これがないと無理」。
A男は思った。
「ストレスを減らすために作ったのに」
「どうして、また別の鎖を増やしているんだろう」
わずかな代償は、わずかなままでは終わらない。
繰り返されれば、積もっていく。
だが――
積もるかどうかは、作った側ではなく、食べる側が決める。
A男は、売上表を見つめた。
数字は、正直だった。
世界は「正しい」よりも「気持ちいい」を選ぶ。
少なくとも、今この瞬間は。
A男は、もう一度だけ呟いた。
「これでいい」
……その言葉が、以前ほど軽く響かないことに気づきながら。
―――――
「二重結果の原則」のような商品は、世の中に数多くある。
便利で、気持ちよくて、役に立つ。
その一方で、見えにくい代償が付いてくる。
もちろん検査は通っている。
だが、どれだけ摂取するかは、消費者の選択になる。
快楽でストレス解消を選ぶのか。
それとも、目に見えない形で寿命や健康を削っているのか。
一概には言えない。
それでも、人が長期的な損得よりも、目の前の快楽を選びやすいのは確かだ。
だからこそ、自己責任の名のもとに、少しずつ代償を支払っていく人は後を絶たない。
「売れてこそ意味がある」
その世界で生きている限り、こうした矛盾は消えないのかもしれない。
売る側に危険が及ぶのなら話は変わる。
けれど危険が“薄まって”誰かに分配されるなら、たぶん世界は止まらない。
問題は、代償があることではない。
代償があるのに、代償の存在が見えなくなることなのかもしれない。