寛大さは美徳じゃない。町が安心して眠るための燃料になる――裏思考遊戯。
小さな町に、A男がいた。
年老いてなお背筋が伸び、困っている者を見ると先に手が出る。
町はA男を「寛大な人」と呼び、誇りにした。
冬のある日、町の古い教会が燃えた。
原因は分からない。
ただ、火は過去だけを焼いた。写真も、記録も、思い出も。
人々は泣き、肩を落とし、そして同じ言葉を探した。
「誰か、まとめてくれないか」
視線がA男に集まった。
寛大な人が立てば、悲しみが秩序になる。
A男はうなずいた。
「やろう。町のために」
募金が始まり、再建計画が動き、会合が開かれた。
A男は毎日現場に立った。頭を下げ、説明し、叱られ、笑った。
町は言った。
「A男がいるから大丈夫だ」
数ヶ月後、再建は順調に見えた。
だがある夜、今度はA男の家が燃えた。
放火だと囁かれた。
A男は生きていたが、家も財産も灰になった。
町は驚いた。悲しんだ。怒った。
そして一番早く整ったのは、空気だった。
「ひどいことをする奴がいる」
「A男さんだけは守らないと」
「でも、教会が先だよね」
誰も嘘は言っていない。
ただ、優先順位が透けた。
A男は言わなかった。
「助けてくれ」と。
言えば、その瞬間から“寛大な人”ではなくなる気がしたからだ。
A男は燃え残った手で、再建を続けた。
寝不足でも、咳が出ても、現場に立った。
寛大さは揺るがないのではなく、揺るがせない形になっていた。
ある夜、再建途中の教会の前で、A男は一人で立ち尽くした。
焼けた木材の匂いが、まだ残っていた。
「なぜ、ここまで…」
そこへB少年が来た。町の若者だ。
B少年は言った。
「A男さん。救われた人はたくさんいる。
でも、あなたの暮らしを犠牲にしてまで、寛大でいる必要はないんじゃないですか」
A男は答えた。
「寛大であることは、損をすることじゃない。
俺は、できることをやっているだけだ」
B少年は黙った。
だが、目だけが言っていた。
――その“できること”は、誰が決めた。
数日後、町はA男の家を再建すると決めた。
大工が集まり、資材が集まり、手伝いが集まった。
人々は胸を張って言った。
「恩返しだ」
家は新しくなった。
そして壁に、小さな札が付いた。
「寛大の家」
見学に来る者もいた。写真を撮る者もいた。
町はまた安心した。
“寛大な人”が戻ったから。
完成の日、A男は町の前で静かに言った。
「寛大であることは、一方的に与えるだけじゃない。
受け取ることも含めて、ようやく循環になる」
人々は拍手した。
拍手は温かかった。
だが同時に、A男は分かった。
この家は、A男のためでもある。
けれどそれ以上に、町のためだ。
町が“良い町でいられる証拠”として、A男が必要なのだ。
寛大さは、善意で始まる。
だが途中から、役割になる。
役割になった寛大さは、燃え続けるしかない。
さて、あなたはどうだろうか。
あなたの「寛大さ」は、誰かを救っているだろうか。
それとも、誰かが責任から眠るための燃料になっていないだろうか。
* * *
ここで、この話の裏側を焦がす。
寛大な人が一人いると、町は楽になる。
助け合いの話をしなくて済む。
制度を作らなくて済む。
不公平を直さなくて済む。
なぜなら、寛大な人が“穴”を埋めるからだ。
誰かが困る → 寛大が埋める
仕組みが足りない → 寛大が埋める
罪悪感が出る → 寛大が和らげる
そして、寛大な人が燃え尽きそうになると、周囲は「再建」する。
優しさのためではない。
自分たちが優しい町でいるために。
裏の問いは一つ。
あなたが称えている寛大さは、救いか。
それとも、町が責任を先延ばしにするための火種か。