いまは、ほとんどの人がカメラを持ち歩き、いつでもネットに投稿できる時代です。
言い方を変えれば、ほとんどの人が「小さなマスコミ」になれる時代でもあります。
これは、素晴らしい側面もあります。
理不尽が可視化され、声が届き、助けが広がる。
昔なら揉み消されていたことが、表に出ることもある。
けれど同時に、別の現実も生まれました。
一度こぼれた情報は、戻らない。
切り取られ、拡散され、意図とは違う形で「真実」になってしまう。
プライバシーという言葉は残っていても、
隠し通せることには、限界があるのかもしれません。
だからこそ私は、今の時代にいちばん重要なのは、
テクノロジーでも、規約でも、監視でもなく――
「信頼」なのではないか、と感じるのです。
もし、こんな人が目の前にいたら、どうでしょう。
「命をかえても秘密は守る。絶対に漏らさない」
大げさに聞こえるかもしれません。
でも、これは本来、特別な美談ではなく、
ごく当たり前の、基本の姿勢だったはずです。
たとえば、誰かが弱さを見せてくれたとき。
たとえば、誰かが恥をさらしてでも相談してくれたとき。
たとえば、誰かが「ここだけの話」を託してくれたとき。
その瞬間に生まれているのは、情報ではなく、
相手の人生そのものです。
それを軽く扱ってしまえば、傷つくのは相手だけではありません。
言った側も、「自分は信頼を守れない人間だった」という感覚が残り、
じわじわと、自分自身への信頼も削れていく。
逆に、守り抜いた信頼は、目に見えないのに確かな形で残ります。
誰かの安心になり、誰かの希望になり、
そして自分の背骨になります。
便利で、速くて、派手なものが勝ちやすい時代。
だからこそ、忘れられがちな“当たり前”に、価値が戻ってくる。
私は、そう思っています。
私は、流行りの正しさよりも、
信頼を守り抜くという当たり前を、選び続けたい。
そして、誰にも見られていないところでこそ、
その当たり前を守り通せる人でありたいのです。