A子が信じている「真実」は、狭い檻の中だけで光っていた。外に出た瞬間、その光は別の檻の照明に塗り替えられる――幻想と真実をめぐる小さな思考遊戯。
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A子が入会している集団は、全員が同じ新聞を読み、同じ書籍を読んでいた。
朝になれば同じ見出しに頷き、夜になれば同じ結論で安心する。ページの端についた折り目まで、なぜか似ていた。
「これが現実よ」
みんながそう言うとき、そこには疑いの入り込む隙間がなかった。
ある日、A子は外の世界の情報を、ほんの出来心で読んだ。
検索しただけだ。立ち読みしただけだ。
それなのに、胸の奥がざらついた。
集団の輪の中で、A子は言った。
「外の世界の情報を読んだのだけど、私たちが読んでいる新聞や書籍の情報は、どうやらほとんどが嘘らしいわ」
B子と仲間たちは、ほとんど同時に笑った。
笑いというより、反射だった。
「何を言っているの。どうかしちゃったの?」
「あなた、騙されているのよ」
A子は白い目で見られたくなかった。
だから、頷いた。納得したふりをした。
いつもの言葉も口にした。「そうよね。私が変だった」
だが、心の中で何かがくすぶり続けた。
眠る前、ページを閉じた後、ふとした沈黙の隙間で、くすぶりが煙になる。
A子はたまらず言った。
「もっと、他の世界のことを受け入れた方がいいと思う」
その瞬間、空気が冷えた。
仲間たちの顔から表情が消え、言葉だけが揃った。
「この世界に疑いを持ったら終わりだよ」
「他の世界を信じようとしたのが間違いだね」
「あなたは洗脳されてしまったのよ」
A子は、その集団の中に入られなくなった。
席が空き、声が途切れ、目が逸れた。
そしてA子は、退会することになった。
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外の世界で生きていく。
それは、自由になることだとA子は思っていた。
外の世界は騒がしかった。
人の流れが速く、情報の流れはもっと速い。
ニュースは一日に何度も塗り替えられ、正義も怒りも流行のように入れ替わる。
A子は「外の世界の人」になろうとした。
だが、うまくいかなかった。
外の世界の人たちは、A子を変わり者として扱った。
理由は簡単だった。A子は、外の世界の人たちとは違った考え方を持っていたからだ。
そして違いは、どこまでも「匂い」として残った。
外の世界の人間たちは、A子に言った。
「君はまだ、その集団の洗脳から解けていないんだよ」
「見方が歪んでる。君はまだ中にいる」
A子は言い返せなかった。
言い返せば返すほど、「ほらね」と言われるだけだと分かったからだ。
それでも、A子は外の世界から退会するわけにはいかなかった。
なぜなら――さらに外の世界はなかったからだ。
外に出たはずなのに、外は終点だった。
終点の中で、また別の終点が作られていく。
そのときA子は、はっきりと思った。
「この世界というものは、大きさの違いだけなのだ」
小さな世界で通用する真実。
少し大きな世界で通用する真実。
そして、もっと大きな世界があるかどうかさえ、誰にも確かめられない。
A子はその真実を、実感したのだった。
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真実は、しばしば「正しいかどうか」より先に、所属の証明として機能する。
同じ新聞を読み、同じ本を読み、同じ言葉で頷けることが、安心になる。そこでは疑いは、間違いではなく裏切りになる。
だが皮肉なことに、外へ出た瞬間に手に入るのもまた、別の安心だ。
「外は自由だ」「内は洗脳だ」
その二択は分かりやすい。分かりやすいから、強い。分かりやすいから、疑いを追い出せる。
結局、A子は二つの世界から同じ言葉を浴びせられる。
「あなたは洗脳されている」
それは、相手を救う言葉ではなく、相手を分類する言葉として使われることがある。
だからこそ、この話はこう終わる。
外がないのではなく、外はいつも「次の内側」になってしまう。
では、あなたがいま「真実」だと思っているものは、何に支えられているのだろう。
根拠だろうか。体験だろうか。多数派だろうか。
それとも――居場所を失わないための安心だろうか。
あなたが“外に出た”と感じたその場所は、本当に外だろうか。