お金は、とんでもなく便利な道具。
だからこそ、気づかないうちに首に掛かる。――裏思考遊戯。
A男は、ある日ふと思った。
「道具のはずなのに、俺の方が道具になってないか?」
A男は会社員だった。
給料は悪くない。生活も回っている。外から見れば、問題はない。
ただ、毎朝、身体が先に起きる。
目が覚めた瞬間に、頭の中で“数字”が鳴り始める。
家賃。税金。保険。口座残高。来月の支払い。
まだ何もしていないのに、もう追われている。
職場では、B男がいつも言う。
「お金は道具です。目的じゃありません。
道具として上手に使ってください」
B男は正しい顔で言う。
正しい顔は、たいてい怖い。
A男は頷きながら、画面を見る。
評価シート。売上。達成率。KPI。
人間の手足が、数字に変換されて並ぶ。
B男は続ける。
「会社としては、成果がすべてです。
あなたの努力は尊い。ですが、数字に出なければ存在しない」
A男は、喉の奥が乾いた。
存在しない?
ここにいるのに?
夜遅くまで働いて、頭がぼんやりするほど削れているのに?
休日、A男は街へ出た。
新しくできた店があった。看板にこう書いてある。
「お金の相談室 ―道具の使い方、整えます―」
A男は吸い込まれるように入った。
店主はB男に似た声で言った。
「お金は便利です。何でも叶えます。
ただし、“何でも”の中身は、たいてい一つです」
「一つ?」
店主は笑った。
「人の時間です」
A男は黙った。
頭のどこかが、やっと言語化された気がした。
店主は淡々と続ける。
「あなたが買っているのは、物じゃない。
サービスじゃない。
他人の時間と体力と集中力と、たまに尊厳です」
A男は反射的に言った。
「でも、こちらも働いて稼いで払っています。公平じゃないですか」
店主は頷いた。
「そう。公平。
だからこそ、首輪になる」
「首輪?」
「お金は、誰かの時間の結晶です。
そして人間は、その結晶を欲しがる。怖がる。足りないと思い込む。
その瞬間、人は“道具を持つ側”から、道具として動く側に回ります」
A男は思い当たった。
残業を断れない理由。
言いたいことを飲み込む理由。
無理な案件を引き受ける理由。
“生活のため”。
その一言で、いくらでも自分を売れる。
A男は試しに、ひとつ決めた。
「今月はこれ以上、時間を売らない」
残業を断り、休日の連絡を切り、必要のない出費を止めた。
最初は軽かった。
身体が戻ってくる感覚がした。
自分の時間が、やっと自分の手に戻ってくる。
だが、すぐに周囲が反応した。
「最近、協調性がないね」
「やる気が落ちた?」
「成長が止まるよ」
B男は笑顔で言った。
「あなたの自由は尊重します。
ただ、評価は別です」
自由はある。
だが、自由には値札が付いている。
そしてその値札を、相手が握っている。
A男は気づいた。
お金は道具。確かにそう。
でも、道具を握る仕組みがある。
仕組みは、人間の不安を燃料にして回る。
A男は相談室を出る前に、店主に聞いた。
「じゃあ、どうすればいいんですか」
店主は一言だけ返した。
「道具は道具のままにしておくこと。
自分を値札にしないこと」
A男は街の雑踏を見た。
みんな何かを買って、何かを売っていた。
物ではなく、時間を。
自信を。
笑顔を。
沈黙を。
さて。
あなたは、お金を使っているだろうか。
それとも、お金に使われているだろうか。
“道具”のはずのものが、いつから首輪になった?
お金は便利だ。
便利すぎる道具は、握り方を間違えると、人を握る。
ここが裏側。
問題は、お金そのものじゃない。
お金が作る恐怖だ。
足りない。遅れる。置いていかれる。評価が下がる。
この恐怖が、口を閉じさせる。身体を差し出させる。
そしていつの間にか、人間が“道具の側”に回る。
「お金は道具」という言葉は正しい。
でもそれは、“道具を握れている人”にとってだけ、真実になりやすい。
握れていない人にとっては、道具が首輪になる。
問いは、こう。
あなたが守りたいのは、いくらだろう。
貯金額ではなく、自分の時間として。
その時間を、誰のために売っている?
そして、その売り方は、本当にあなたが決めたものだろうか。