涙が出るほど大切なのに、
慣れた瞬間から、当たり前になっていく。そんな思考遊戯。
A子は夕食を食べながら、ぽろぽろと涙を落としていた。
箸を止め、何度も呟く。
「ごめんなさい……」
「ありがとう……」
A子は、思い返していた。
「あなたと出会ったのは一年前だった」
「そこから私は、癒やされる日々を過ごした」
「それも今日で終わりね……」
A子はさらに、祈るように言った。
「私は酷いことをしているのかしら」
「そうね、きっと酷いことなの」
「でも、これはあなたへの愛情の証なの」
「どうか、許してちょうだい」
そして、言い聞かせるように続けた。
「これは私たちが生きていくために必要なこと」
「あなたの犠牲は、決して無駄にしないと誓うわ」
最初の頃のA子は、こうして心を深く痛めながら食事をしていた。
――そして一年後。
また同じことが繰り返された。
涙は、前ほど出なくなった。
手は震えなくなった。
言葉も短くなった。
「……ごめんね」
「……ありがとう」
繰り返すうちに、A子は少しずつ慣れていった。
さらに十年後。
A子は食事の前に、ただ一言だけ呟いた。
「いただきます」
A子は、豚を飼って食べる生活を、何度も何度も繰り返していたのだった。
――そんなある日。
ディナーに招いた友人が、冗談めかして言った。
「これ、本当に美味しいね」
「いっそ、飼ってるチワワのピーちゃんも試してみたら?」
その瞬間、A子は激怒した。
「そんなこと、できるわけないじゃない!」
空気が凍った。
数秒の沈黙のあと、A子は息を整え、友人に言った。
「ごめんなさい。つい感情的になっちゃった」
そして、少しだけ笑って付け足した。
「……そうね」
「もし事故で死んだ時は、そうしないともったいないわね」
友人は笑った。
A子も笑った。
だが、その笑いの奥に、何かが残っていた。
それが何なのかは、A子自身にもよく分からなかった。
―――――
道徳性があるか、ないか。
それは感情移入の強さで、変わってしまうのだろうか。
毎日、どこかで処分され、食卓に届く肉に対して、
私たちはほとんど哀れみを感じない。
それは「残酷だから」というより、情報が少ないからかもしれない。
だが、同じ命でも、その個体について知れば知るほど、
親近感が湧き、感情移入してしまうのは自然だ。
名前。
性格。
癖。
触れた記憶。
一緒に過ごした時間。
情報量が増えるほど、愛着は増える。
愛着が増えるほど、道徳は強く見える。
極端な話、会ったこともない有名人の死で、
泣いたり、人生が揺らぐ人すらいる。
それほど、感情移入は人を動かす。
とはいえ――
感情移入がないものに対して冷酷になっていい、という話ではない。
それは明らかだ。
問題は、道徳が「正しさ」ではなく、
距離の錯覚によって左右されることがある、という点なのかもしれない。
あなたの道徳は、どこまでを“近い”と感じるだろうか。
そして、“遠い”ものを忘れた瞬間、何が当たり前になるのだろうか。