遠回りにも、意味はあるのかもしれない。失敗や気づきを、物語・歌・動画にしています。
比較は、向上心の顔をして近づいてくる。
もっと良くなりたい。もっと届きたい。もっと認められたい。
けれどその奥で、人は静かに、自分の小さな一行を捨て始めることがある。
比較と心の捨て方をめぐる――裏思考遊戯。
―――――
小さなブログを運営するのは、最初は冒険だった。
A男は、毎日少しずつ記事を書いた。
日常で引っかかったこと。
失敗して気づいたこと。
昔の記憶から、ふと浮かび上がったこと。
大きな反応はなかった。
けれど、たまにコメントが届いた。
「分かります」
「自分も同じことを考えたことがあります」
「少し楽になりました」
その一言で、A男は何日も書けた。
画面の向こうに、誰かがいる。
自分の言葉が、どこかの夜に届いている。
それだけで十分だと思えていた。
最初は。
ある日、A男は何気なく別のブログを開いた。
同じように日常の気づきを書いている人だった。
けれど、見出しが上手かった。
写真も整っていた。
文章も読みやすく、コメント欄はにぎわっていた。
その人の記事には、何百もの反応がついていた。
A男は、自分のブログに戻った。
昨日の記事の反応は、二つだった。
それまでは嬉しかった二つが、急に小さく見えた。
そこから、夜が少しずつ冷えていった。
記事を書いていても、頭の片隅で別の誰かの数字が光る。
投稿しても、すぐにアクセス解析を開いてしまう。
コメントが来ても、もっと多い人の画面を思い出してしまう。
「こんな記事、誰も読まないんじゃないか」
「他のブログはもっと凄い」
「自分は何をしているんだろう」
A男は、毎晩、眠る直前に自分を裁くようになった。
比較は、最初は向上心の顔をしていた。
もっと良くするため。
もっと読まれるため。
もっと役に立つため。
そう思えば、他人を見ることも、自分を責めることも、努力の一部に見えた。
だが、いつの間にかA男は、ブログを書いているのではなく、ブログで自分を裁いていた。
昨日まで大切に見えた一文が、急に古く見える。
誰かのきれいな文章を読むと、自分の文章が濁って見える。
誰かの成果を見ると、自分の積み重ねが、全部無意味に見える。
比較は、目の前の努力をすべて“足りないもの”に変えていった。
ある夜、A男は部屋の隅に置きっぱなしの古いゴミ箱に目を留めた。
昔から使っている、小さなゴミ箱だった。
塗装は剥げて、縁は少し歪んでいる。
底には細かい傷がついていた。
見た目だけなら、もう捨て時だった。
けれどA男は、そのゴミ箱を見て妙に落ち着いた。
きれいではない。
新しくもない。
誰かに見せるようなものでもない。
ただ、ずっとそこにあって、いらないものを受け止めてきた。
A男は思った。
ゴミ箱の役割は、捨てることではない。
受け入れることなのかもしれない。
その瞬間、A男はひとつの遊びを思いついた。
紙とペンを用意した。
心の中に残っている嫌な言葉を書き出してみる。
「今日は全然集中できなかった」
「また比べてしまった」
「自分の文章は弱い」
「もっと良い記事が書けるはずなのに」
「読まれないなら意味がないのでは」
書いた紙を丸めて、ゴミ箱へ投げ入れた。
ぽすん。
紙が落ちる音が、思ったより気持ちよかった。
もう一枚書いた。
「他人の成果を見るのが怖い」
丸めて、投げる。
ぽすん。
その音を聞くたびに、胸の奥の重みが少しだけ外へ移動していくようだった。
A男は、その夜、少しだけよく眠れた。
翌日もやった。
「アクセス数ばかり見てしまう」
「コメントが少ないと落ち込む」
「誰かの成功を素直に喜べない」
丸める。
投げる。
ぽすん。
数日で、ゴミ箱は紙くずでいっぱいになった。
その代わり、A男の頭は少し軽くなった。
不思議なことに、記事も軽くなった。
完璧に見せようとする文章ではなく、少し不器用でも、自分の言葉が戻ってきた。
無理に賢く見せる必要もなくなった。
読者へ向ける声も、少し柔らかくなった。
数字が大きく伸びたわけではない。
けれど、届くべきところには、また少しずつ届き始めていた。
A男は思った。
「この方法、最強じゃないか」
そこから、A男は毎晩、ゴミ箱の前に座るようになった。
紙を書く。
丸める。
投げる。
ぽすん。
不安を書く。
丸める。
投げる。
ぽすん。
比較を書く。
丸める。
投げる。
ぽすん。
ゴミ箱がいっぱいになるほど、A男は安心した。
紙が増えるほど、自分はちゃんと心を整理しているように思えた。
最初は、自然に出てきた不安を書いていた。
だが、次第にA男は、不安を探しにいくようになった。
アクセス解析を開く。
競合のブログを見る。
SNSで有名な書き手を探す。
数字の多い投稿を見る。
コメント欄の盛り上がりを見る。
胸がざわつくものを見つけると、A男はすぐに紙へ書いた。
「負けている」
「自分は遅い」
「自分の言葉は浅い」
「もっとやらないと消える」
「今日も足りなかった」
丸める。
投げる。
ぽすん。
少し楽になる。
だからまた探す。
いつの間にか、記事を書く時間より、不安を探す時間の方が長くなっていた。
ざわつく。
書く。
丸める。
投げる。
ぽすん。
A男は気づかなかった。
ゴミを捨てているのではなく、捨てるためのゴミを作り始めていることに。
心を軽くするための習慣が、いつの間にか心を汚す材料を探す習慣に変わっていた。
ある晩、A男はいつものように紙を書いた。
「今日は誰にも勝てなかった」
丸めて投げた。
ゴミ箱は、すでにいっぱいだった。
紙くずが縁からあふれ、床に落ちた。
A男は舌打ちし、床に散らばった紙を拾い始めた。
そのとき、一枚の紙が開いてしまった。
そこには、こう書かれていた。
「自分の文章は弱い」
A男は、手を止めた。
どこかで見た言葉だった。
別の紙を開いた。
「自分の文章は弱い」
また別の紙を開いた。
「自分の文章は弱い」
A男は、床に座り込んだ。
紙を一枚ずつ開いていった。
「足りない」
「遅い」
「負けている」
「誰にも届かない」
「もっと凄い人がいる」
「自分は弱い」
「足りない」
「負けている」
「自分は弱い」
同じ言葉だった。
少し表現は違っていても、ほとんど同じだった。
違っていたのは、日付だけだった。
A男は、ぞっとした。
毎晩、いろいろな不安を捨てていたつもりだった。
けれど、実際には、同じ不安を何度も作り直していただけだった。
ゴミ箱が特別だったのではない。
自分が同じゴミを作り続けていただけだった。
しかも、それは“向上心”の顔をしていた。
もっと良くなるため。
もっと役に立つため。
もっと読まれるため。
もっと成長するため。
その言葉の下で、A男は毎晩、自分の心を殴っていた。
A男はゴミ箱を見つめた。
古びたゴミ箱だった。
比べるまでもなく、安っぽい。
おしゃれな部屋に置けるものでもない。
最新の収納用品でもない。
けれど、このゴミ箱だけは、他のどれとも比べられなかった。
そこに入っているのは、ただの紙くずではなかった。
A男が、自分を否定した回数の記録だった。
“やる気”という名の刃で、自分を切った跡だった。
向上心に見せかけて、自分を捨て続けた証拠だった。
A男は、紙を一枚ずつ広げた。
床いっぱいに、同じような言葉が並んだ。
それは、ゴミではなかった。
叫びだった。
捨てていたのではない。
聞かないことにしていただけだった。
A男は、小さく言った。
「捨てたいのは、不安じゃない」
声は、思ったよりかすれていた。
「比較の癖だ」
A男は、新しい紙を一枚出した。
いつものように、不安を書こうとした。
けれど、手が止まった。
その紙に、こう書いた。
「比べるのをやめる。
比べる代わりに、今日書いた一行を残す」
A男は、その紙を丸めなかった。
ゴミ箱にも入れなかった。
机の上に置いた。
捨てるためではない。
育てるために。
翌日、A男は記事を書いた。
長い文章ではなかった。
見出しも派手ではなかった。
検索されやすい言葉も入っていなかった。
ただ、昨日の自分が少しだけ分かったことを書いた。
「比べて苦しくなる夜がある。
そんなとき、全部を捨てて軽くなるより、ひとつだけ残した方がいいこともある。
今日の一行だけは、誰かと比べずに置いておく」
投稿した。
反応は少なかった。
コメントは、一つだけだった。
「私も、今日は一行だけ残してみます」
A男は、それを読んで、しばらく画面を見つめた。
他の誰かの百件のコメントより、その一つは静かだった。
けれど、不思議と小さくは見えなかった。
A男は、ゴミ箱を見た。
まだ紙くずは残っている。
片づけなければならない。
きっとまた、比較する日も来る。
けれど、その夜、A男は紙を丸めなかった。
机の上の紙を見た。
「今日書いた一行を残す」
その一行は、まだ小さかった。
誰にも勝てない。
誰よりも優れているわけでもない。
それでも、捨てるものではなかった。
A男は、部屋の隅の古いゴミ箱を見て思った。
このゴミ箱は、比べ物にならない。
高いからではない。
美しいからでもない。
特別な機能があるからでもない。
ここに、自分が何を捨ててきたのかを見せてくれたからだ。
そして、何を捨ててはいけなかったのかも。
A男は、ゴミ箱の中の紙を、もう一度だけ見てから袋にまとめた。
けれど、机の上の一枚だけは残した。
それは、ゴミではなかった。
小さすぎる種だった。
―――――
この話の裏側にあるのは、感情を書き出すことへの否定ではない。
不安を紙に書くこと。
頭の中のもやもやを外へ出すこと。
自分の気持ちを見える形にすること。
それは、確かに役に立つことがある。
言葉にした瞬間、少し楽になることがある。
紙に移しただけで、心の中の重さが減ることもある。
自分を責める声と、少し距離が取れることもある。
だから、捨てることそのものが悪いわけではない。
問題は、その効果が強すぎるときだ。
捨てると楽になる。
楽になるから、また捨てたくなる。
捨てるために、不安を探す。
不安を探すために、比較を見る。
比較を見るから、また苦しくなる。
そうして、心はいつの間にか“捨てるための材料”を作り始める。
比較も同じだ。
最初は、向上心に見える。
もっと良くなりたい。
もっと届く言葉を書きたい。
もっと人の役に立ちたい。
その気持ち自体は、悪いものではない。
けれど、比較が強くなりすぎると、今あるものをすべて足りないものに変えてしまう。
今日書けた一行。
届いた一つのコメント。
昨日より少しだけ分かったこと。
自分の中でしか生まれなかった言葉。
それらが、誰かの大きな数字の前で、急に小さく見えてしまう。
そのとき人は、努力しているようで、自分を捨て始めているのかもしれない。
この話の中で、A男はゴミ箱に不安を捨てていた。
けれど、本当に捨てていたのは不安だけではなかった。
自分の一行への信頼。
小さな反応を受け取る力。
誰かと比べずに書く時間。
不完全でも残しておこうとする勇気。
それらまで、比較の紙に包んで捨てていた。
比較は、向上心のふりをして、心の中の小さな芽までゴミに変えることがある。
このゴミ箱が比べ物にならないのは、性能の問題ではない。
おしゃれだからでもない。
新しいからでもない。
特別な道具だからでもない。
そこに入っていたのが、ただのゴミではなく、A男の自分への扱い方そのものだったからだ。
毎晩、自分を責める。
それを改善だと思う。
苦しくなる。
紙に書いて捨てる。
少し楽になる。
また比較する。
その循環が続くと、人は自分を大切にする方法ではなく、自分を処理する方法ばかり上手くなっていく。
この物語が最後に置いている問いは、そこにある。
あなたが今、捨てることで軽くしているものは、本当に不要な感情だろうか。
それとも、捨て続けないと成り立たない生き方の癖だろうか。
不安を外へ出すことが必要な夜もある。
怒りや焦りを、紙に置いて距離を取ることが救いになる日もある。
けれど、捨てるだけでは育たないものがある。
今日書けた一行。
誰かに届いた小さな言葉。
自分だけが見た景色。
まだ上手くまとまらないけれど、消したくない感覚。
それらは、ゴミ箱に入れるものではない。
机の上に置くものだ。
少し見える場所に残すものだ。
明日の自分が続きを書けるように、捨てずに置いておくものだ。
そして、比べることも、すべて捨てればいいわけではない。
捨てるべきなのは、どうにもならないものとの比較だ。
自分以外の誰かの成果。
誰かの数字。
誰かの反応。
誰かの速度。
誰かの評価。
それらは、自分ではどうにもできない。
どうにもならないものを見続けるほど、人は自分の一行を小さく見てしまう。
自分の歩幅を疑い、自分の言葉を疑い、自分の時間まで遅れているように感じてしまう。
けれど、どうにかなるものもある。
昨日の自分。
昨日より少しだけ分かったこと。
昨日より一行だけ残せたこと。
昨日なら捨てていた感覚を、今日は机の上に置けたこと。
それは、比べてもいいものなのかもしれない。
人を傷つける比較ではなく、自分を育てるための比較だからだ。
どうにもならないものは、ゴミ箱へ入れていい。
他人の成果に振り回される夜。
誰かの数字に押しつぶされる時間。
自分以外の人生を基準にしてしまう癖。
それらは、持ち続けるほど心を重くする。
けれど、どうにかなるものは、捨てずに取っておきたい。
今日書けた一行。
昨日より少しだけ整った言葉。
まだ誰にも届いていなくても、自分の中で確かに残った感覚。
そうした小さなものを積み重ねた自分自身は、やがて、使い古した道具のように愛着が湧いてくるのかもしれない。
傷があり、古くなり、不完全で、それでも自分の手になじんでいる。
誰かと比べれば目立たなくても、自分の時間とともに残ってきたもの。
それは、捨てるものではない。
育てていくものなのだと思う。
あなたは、何を捨てるだろう。
そして、何を育てるだろう。
比べることで苦しくなった夜に、全部を丸めて捨てる前に。
一つだけでも、残していいものがあるのかもしれない。
それは、誰かと比べれば小さすぎる一行かもしれない。
けれど、自分の中で育てるには、十分な種なのかもしれない。