比較は、向上心のふりをする。
だが実際は、心を捨てるための口実になる。――裏思考遊戯。
小さなブログを運営するのは、最初は冒険だった。
書けば書くほど、少しずつ読者が増え、コメント欄には温度が残った。
それなのに、ある時期から、A男の夜は冷えた。
「こんな記事、誰も読まないんじゃないか」
「他のブログはもっと凄い。自分は何をしているんだろう」
毎晩、眠る直前に比較が始まる。
比較は、目の前の努力を全部“ゴミ”に変える。
A男は気づかないうちに、ブログを書いているのではなく、ブログで自分を裁いていた。
ある日、部屋の隅に置きっぱなしの古いゴミ箱に目が止まった。
塗装は剥げ、底はすり減り、見た目だけなら捨て時だ。
だがA男は、そのゴミ箱を見て妙に落ち着いた。
汚れた道具は、役割を果たした証拠でもある。
「ゴミ箱の役割は、捨てることじゃない。受け入れることだ」
そう思った瞬間、A男はひとつの遊びを始めた。
紙とペンを用意し、心の中の“ゴミ”を書き出す。
「今日は全然集中できなかった」
「比べてしまって苦しい」
「もっと良い記事が書けるはずなのに」
書いたら、丸めて、投げ入れる。
紙が落ちる音が、妙に気持ちいい。
まるで心の奥の重みが、物理的に移動していくようだった。
数日でゴミ箱は紙くずでいっぱいになった。
その代わり、A男の頭は軽くなった。
そして不思議なことに、記事も軽くなった。
“完璧に見せる”ための文章ではなく、自分の言葉が戻ってきた。
読者の反応も少しずつ増えた。
A男は思った。
「この方法、最強じゃないか」
だが、その最強は、少しずつ形を変えた。
ゴミ箱がいっぱいになるほど、A男は安心した。
紙が増えるほど、眠りが深くなった。
だからA男は、紙を増やしたくなった。
最初は自然に出てきた不安を書いていた。
次第にA男は、不安を探しにいくようになった。
アクセス解析を見る。
競合のブログを見る。
SNSの数字を見る。
そして、胸がざわつくものを見つけたら、すぐ紙に書く。
「自分は弱い」
「負けている」
「足りない」
投げ入れる。
落ちる音。
少しの快感。
A男は気づかない。
ゴミを捨てているのではなく、捨てるためのゴミを生産していることに。
ある晩、ゴミ箱が溢れて床に紙が散らばった。
A男は拾い集めて、ふと一枚を開いてしまった。
そこには、同じ言葉が何度も書かれていた。
同じ比較。
同じ否定。
同じ“足りない”。
A男はそこで初めて理解した。
ゴミ箱が特別だったのではない。
ただ、自分が同じゴミを作り続けていただけだ。
しかも、それは“向上心”の顔をしていた。
「もっと良くなるため」
「もっと役に立つため」
「もっと読まれるため」
その言葉の下で、A男は毎晩、自分の心を処理していた。
A男はゴミ箱を見つめた。
古びて、比べ物にならないほど安っぽい。
だが、このゴミ箱だけは、他のどれとも比べられなかった。
ここに入っているのは、ただの紙じゃない。
A男が自分を殴った回数の記録だ。
“やる気”という名の刃で、自分を切った跡だ。
A男は紙を一枚ずつ広げ、静かに言った。
「捨てたいのは、不安じゃない。比較の癖だ」
そして、次の紙にこう書いた。
「比べるのをやめる。
比べる代わりに、今日書いた一行を残す」
それを、ゴミ箱には入れなかった。
机の上に置いた。
捨てるのではなく、育てるために。
さて。
あなたが捨てている“ゴミ”は、本当に不要なものだろうか。
それとも、捨てることで回り続ける癖だろうか。
あなたは、何を捨て、何を育てるだろう。
* * *
ここで、この話の裏側を一段だけ深くする。
「捨てると楽になる」は、たしかに効く。だが効きすぎると、心は“捨てるための材料”を作り始める。
不安を減らすために不安を探し、比較を止めるために比較をし、安心のために自分を殴る――そんな循環が、いつの間にか“改善”の顔で定着する。
このゴミ箱が比べ物にならないのは、性能の問題ではない。
そこに入っているのが“ゴミ”ではなく、自分の扱い方そのものだからだ。
裏の問いは一つ。
あなたが今、捨てることで軽くしているのは、本当に不要な感情か――それとも、捨て続けないと成り立たない生き方の癖か。