質問が怖いときがある。
質問そのものより、質問が持ってくる“空気”が怖い。
答えなければならない。
今ここで、正しく返さなければならない。
そうやって、心のハンドルが外に引っ張られる。
質問攻め。
言葉は丁寧でも、目的は別のところにあることがある。
こちらの反応を引き出すため。
こちらを揺らすため。
こちらを動かすため。
そのとき私は、いちばん大事なことを忘れやすい。
答えない権利。
反応しない権利。
沈黙は負けじゃない。
保留は逃げじゃない。
反応しないことは、主導権を自分に戻すことだ。
でも、質問には力もある。
外から来る問いが私を乱すなら、
内からの問いは私を整えられる。
疑問は、修正になる。
新しい発見になる。
そして何より、“いまの私”を呼び戻す。
外への疑問と、内への疑問。
同じ「問い」でも、向きが違うだけで作用が変わる。
いま目の前の言葉や行動。
これは何を目的として出てきたのだろう。
その答えを知るために、同じように自分へ問いかける。
今、口に出したこの言葉は、本当に望んでいたものか。
今、浮かんだこの考えは、本当に望んでいるものか。
もし違うなら――
なぜ、そう言った。
なぜ、そう考えた。
過去の痛みが、先に反応したのか。
守るための自動装置が、勝手に動いたのか。
責めるためじゃない。
問いの前で、私はいったん私に帰る。
戻るための問いだ。
私は、私の側に戻る。
答える前に、戻る。
反応する前に、戻る。
戻ってから、選ぶ。
問いに奪われない。
問いを、私の味方にする。
それだけで、今日は、十分だった。