約束をめぐる思考遊戯。
見返りを得た瞬間は軽くても、支払いはずっと先にやってくる。
悪魔は言った。
「約束を果たしてもらいに来たぞ」
Aは、はじめ何のことか思い出せなかった。
それを察した悪魔は、淡々と続けた。
「忘れたのか? 三十年前に約束しただろう。新築一戸建てを“先に”渡した代わりだ。約束通り、三年分の寿命をもらいに来た」
Aはようやく思い出した。
あの頃は三年くらい大したことがないと思っていた。
だが歳を重ねた今、同じ三年が、急に現実味を帯びて恐ろしくなった。
悪魔は、さらに言葉を重ねた。
「何を迷っている。これは妥当な契約だ。
お前ら人間がローンで払っている“時間”と、同じ尺度で計算してやっている。むしろ親切なくらいだ」
Aは納得できず、思いきって叫んだ。
「そんな三十年前の約束なんか知ったことか! ローンと同じって言うなら、踏み倒すまでだ!」
悪魔は少しも怒らず、冷静に言った。
「いいだろう。お前のような人間もいる。
ただし、その瞬間からこの家はお前のものではない。もうここには住めない。
それから――お前の願いを“まともに”聞く者もいなくなるだろう。次に相手をするのは、もっと条件の悪い連中だけだ。ククク」
そう言い残して、悪魔は立ち去った。
Aは、家の中を見回した。
壁も床も、窓の向こうの景色も、昨日までと何も変わらない。
それなのに――急にここが、“自分の居場所”ではなくなった気がした。
その夜、Aはひとりでつぶやいた。
「こんなことなら、最初からローンを組んで買っておけばよかった……」
けれど本当は、ローンを選んでいたとしても、支払うのはやはり“時間”だったのかもしれない。
Aの喉の奥に、苦い後悔だけが残った。
未来に続く約束は、どこまで守られるべきなのだろうか。
人は「寿命を引き換えにする」と聞くと、途端に怖気づく。
だがローンもまた、これから先の時間――働く年数や自由な時間――を差し出して手に入れる契約だと言えなくもない。
違いがあるとすれば、支払うものの正体が見えやすいかどうかだ。
寿命と言われれば身構える。だが「毎月の返済」と言われると、分割されたせいで重さがぼやける。
少なくとも、奪われるのが“時間そのもの”だと最初から分かったうえで、覚悟して選べたかもしれないのに――と思ってしまう。
見返りを求める「契約」とは、形を変えた約束である。
ならば、悪魔との契約があるのなら、神との契約もまた存在するのだろうか。
「信じる者は救われる」「疑いを起こした者はすべてを失う」――それも契約だと呼べるのかもしれない。
では結局、怖いのは悪魔そのものなのか。
それとも、自分が何を差し出しているのかを見ないまま、署名してしまうことなのだろうか。