Aは、死にたがっていた。
先日、九十九%の確率で当たる占いをするスーパーコンピューターから、今後の不運の一覧を突きつけられたからだ。回避方法も出た。だが、それは“努力”というより“人生の作り替え”に近い労力だった。
逃げ道を塞がれた未来と、選べてしまう出口の矛盾を描く、死と選択をめぐる小さな思考遊戯。
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Aは結果を読み返した。
いつ、どんな失敗が起き、どんな喪失が起き、どんな孤独が起きるか。
画面の文字は冷たく、やけに丁寧だった。
回避策も丁寧だった。
睡眠、食事、運動。人間関係の整理。仕事の方向転換。資産配分。定期検診。学び直し。
それらが“全部できれば”未来は変わる、と書いてある。
Aは、やめた。
「生きる努力」をするくらいなら、死んだほうが楽だと思った。
しかも、コンピューターは余計なことまで言った。
Aは長寿の可能性が高い。苦しみが長く続く確率が高い。
Aはその一文で、未来を“耐久レース”として見てしまった。
そんな悩みを抱えていたある日、Aはスーパーコンピューターに相談した。
「楽に死ぬ方法はあるか?」
返答は即座だった。
「死なせ屋」という裏稼業が存在する、と。
Aは、思いきって会いに行った。
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「死なせ屋」の営業担当は、名刺を差し出しながら穏やかに言った。
「はい。当社は慈善事業として行っております。苦痛なく、恐怖なく。臓器なども必要な方へ提供できます。心置きなく旅立てるかと存じます」
Aは、願ったり叶ったりだと思った。
不運の回避に必要な労力より、ここでの手続きのほうがはるかに簡単に見えた。
Aは即決した。
営業担当は小さく付け加えた。
「ただし、当社が直接“手をくだす”ことはありません。違法になりますので。方法の提示と、その後の手続きまでをお手伝いします」
Aは頷いた。
むしろ、それが安心に思えた。
自分で決めたのだ、と言い訳できる形が、そこにあった。
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だが、Aは実行できなかった。
“最後の一歩”の手前で、身体が勝手に止まった。
震えた指が、何もない空を掴んだ。
Aは生き残った。
生き残ってしまった。
その後、「死なせ屋」は繁盛した。
恐怖や本能が働きにくくなる“仕組み”まで用意した、と噂が流れた。
自殺者は、うなぎ登りに増えた。
Aは、見過ごせなくなった。
「自分が止まったのは弱さじゃない。人間の防波堤だ」
そう思った瞬間、Aは立ち上がる決心をした。
Aは必死に動いた。
告発し、訴え、規制を求め、世論を動かし、行政を動かした。
そしてついに、「死なせ屋」を廃業に追い込むことに成功した。
目に見えて、自殺者は減った。
Aは、胸を撫でおろした。
これで良かったのだ、と。
だが、その分――苦しむ人間が増えた。
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相談窓口は混雑し、病院は混み、家族の会話は尖り、夜は長くなった。
死に切れない人たちは、苦しみの中で“選択肢を奪われた形”になった。
そして、Aは責められた。
顔を合わせたことのない誰かに、道ですれ違った誰かに、ネットの文字に。
「お前のせいで、苦しんでいても死ねない。どうしてくれるんだ!」
Aは言葉を失った。
救ったはずなのに、恨まれていた。
扉を閉めたのは正義のつもりだったのに、閉められた側には檻に見えていた。
スーパーコンピューターが、ふと頭をよぎった。
九十九%の確率。
あの不運の一覧に、こんな一文はなかっただろうか。
「あなたは、正しいことをして、憎まれます」
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この話は、「正しい/間違い」ではなく、苦しみの移動の話だ。
死なせ屋を放置すれば、“死”が増える。
死なせ屋を潰せば、“死にたいのに死ねない苦しみ”が増える。
どちらを選んでも、苦しみはゼロにならない。
変わるのは、苦しみの形と、苦しみを抱える人と、責められる相手だけだ。
そして厄介なのは、選択の責任が「結果」ではなく、選んだ瞬間に責任が発生することだ。
レバーを引いても引かなくても、誰かが傷つく。
だから人は、正しさを選んだつもりで、憎まれ役も一緒に引き受けてしまう。
Aが閉めたのは“救いの扉”だったのか、“死への扉”だったのか。
答えが割れたままでも、ひとつだけ現実的な文が残る。
「あなたは、正しいことをして、憎まれます」