怪物の正体は、だいたい“都合の悪い現実”だ――裏思考遊戯。
山間の村には、洞窟に怪物が封印されているという言い伝えがあった。
子どもは近づくな。大人も語るな。恐れろ。
それだけが、代々きれいに守られてきた。
A男は、その“きれいさ”が気に入らなかった。
恐れだけが整備されている場所は、だいたい別のものが荒れている。
疑問とか、責任とか、弱い者への扱いとか。
A男は洞窟へ向かった。
奥へ進むほど空気が冷たくなる。
恐怖より先に、息苦しさが増えた。
――ここには怪物より、恐れを管理する仕組みがいる。
身体が先にそう言っていた。
最深部にいたのは、巨大な怪物だった。
狼のような頭。岩のような胴。
鎖が首を締め、鎖が床に縫い付けられ、鎖が時間を固定していた。
怪物は傷だらけで、呼吸が浅く、それでも目だけはまだ生きていた。
A男が近づくと、怪物は人間の言葉で言った。
「私は、この村の守り手だった。
だが村は、守られることより“怖がる理由”を欲しがった。
だから私は、ここに置かれた」
A男は喉が乾いた。
怪物の言葉は言い訳に聞こえなかった。
むしろ、村のほうが言い訳に聞こえた。
A男は鎖に手をかけた。
鍵は拍子抜けするほど簡単に外れた。
怪物は立ち上がるのに時間がかかった。
自由というのは、縛られていた者ほど重い。
「出ていいのか」
A男はうなずいた。
「守り手なら、ここに置いてはいけない。
ここに置くのは――俺たちのほうだ」
怪物は洞窟を出た。
A男は村へ戻り、集会所で真実を語った。
「洞窟の怪物は、村を守っていた。
怖がっていたのは、知らないからだ。
もう封印を続ける理由はない」
ざわめきが広がった。
恐怖だけじゃない。怒りだけでもない。
もっと生活臭い、打算に似た揺れだった。
B男(長老)が言った。
「守り手だと? なら尚更、洞窟に置け。
外に出たら困る。村の秩序が崩れる」
C男(若い父親)が言った。
「子どもが言うことを聞かなくなる。
“洞窟に怪物がいるぞ”が効かなくなる」
D女(世話役)が言った。
「何か起きた時、誰のせいにする?
余所者が来た時、どうやって村を一つにする?」
A男はそこで理解した。
村は怪物を恐れていたんじゃない。
怪物を“道具”として失うことを恐れていた。
そのとき、怪物が広場に現れた。
村人は悲鳴を上げ、逃げ、石を探し、誰かを盾にした。
だが怪物は暴れなかった。
ただ静かに、村人たちを見つめた。
見つめられていたのは身体ではない。
心の裏側だ。
「お前たちは私を何として使っていた?」と問われている。
怪物はA男にだけ聞こえる声で言った。
「君は鎖を外した。
だが彼らは、鎖の“必要性”を外さない」
A男は叫びたくなった。
変われ、と。理解しろ、と。
だがその言葉は村を救わない。
村が守るのは救いじゃない。便利さだ。
怪物は村人に向けて、ゆっくり言った。
「私はここを去る。
私はもう、あなたたちの責任の代用品にはならない」
――その瞬間、村に流れたのは悲鳴じゃなかった。
安堵だった。
「助かった」
誰かが、つい口にした。
それを合図に、空気がふっと軽くなる。
笑いすら混ざる。
子どもが泣き止む。
大人が肩を叩き合う。
さっきまで石を探していた手が、もう“日常”に戻っていく。
怪物が去る。めでたしめでたし。
その軽さが、A男の胸を冷やした。
怪物は山の奥へ消えた。
消えたあと、村には奇妙な静けさが残った。
そして、その静けさを埋めるように、B男が言った。
「よし。洞窟の入口を整えよう。
“危険”の看板は残す。いや、増やす。
怪物がいなくても、村には必要だ」
誰も反対しなかった。
むしろ、うなずいた。
A男は理解してしまった。
怪物が消えても、怪物の“席”は空席にならない。
村は次の怪物を探す。
真実ではなく、都合のいい恐れを。
A男は自分に問うた。
――怪物が去ったのは、村を守るためだったのか。
それとも、村が逃げ続ける裏を、もう支えないためだったのか。
さて、あなたはどうだろうか。
あなたの中にも「怪物の席」はないだろうか。
それは本当に敵か。
それとも、責任を預けるために必要にしている何かか。
ここからは、この話の裏側の話をする。
この話の怪物は暴れない。
暴れる必要がないからだ。
本当に恐ろしいのは怪物ではなく、怪物を必要とする側の裏側だ。
村が守りたいのは安全ではない。
“安全っぽい状態”を作るための装置だ。
怪物がいると便利なことが増える。
子どもを黙らせられる
ルールを疑わせずに済む
不満の矛先を外へ向けられる
何か起きた時に「怪物のせい」にできる
誰かを締めつけても「村を守るため」で正当化できる
だから封印する。
恐怖のためではない。免責のためだ。
怪物が去った瞬間に安堵する。
そこが一番、残忍だ。
解決した気になる。だが実際は、責任の席が空いただけ。
席が空けば、次の怪物が座らされる。
余所者、弱者、異端、過去、真実。座らせやすいものが座らされる。
裏の問いは一つ。
自分が恐れているのは怪物か。
それとも、怪物がいないと保てない“平和ごっこ”が壊れることか。