良心を司る遺伝子だけを書き換える「ジェミニ回路」を使って人類を救った博士が、のちに人権侵害で裁かれる──良心と人権の境界線を問う思考遊戯。
A博士は、ついに画期的な発明を完成させた。
ニュースになれば、世界がどよめいてもおかしくない。
人類史を書き換える可能性を秘めた発明だ。
にもかかわらず、博士の顔は晴れなかった。
「これを世に出せば、私は終わりだ」
独りごとのように呟きながら、
彼はモニターの数値と、机上の書類を交互に見つめた。
「しかし、これを出さなければ、人類が終わってしまう」
近年、科学の進歩は目まぐるしかった。
新しい技術が次々と生まれ、世界は効率的で、便利で、強力になっていった。
同時に、博士には別のグラフも見えていた。
良心を持たない人間の比率が、
年々少しずつ増えているというデータだ。
「良心」と呼ばれる機能を司る脳の一部に、
特定の遺伝子変異が見られるケースが、
統計的に有意なレベルで増加していた。
このまま進めば、
驚異的な科学の力を、心無い人間がためらいなく使う未来が来る。
博士は、その確率を何度も計算し直した。
人類が滅びる可能性
地球環境そのものが取り返しのつかないダメージを受ける確率
他の生物種が巻き添えで絶滅していくシナリオ
どのシミュレーションも、ある一点を越えると、
あっけないほど急激に「破局」に向かって跳ね上がる。
「もう、時間がない」
A博士の発明は、
脳内で変異した遺伝子を、正常な状態に巻き戻す技術だった。
ただし──
効果があるのは「良心」を司る部位に限られている。
博士はその回路に、
「ジェミニ回路」という名前をつけた。
双子座のように、
二つの可能性の分岐点に立つ技術、という意味を込めて。
A博士は、覚悟を決めた。
ジェミニ回路を広く浸透させるため、
博士は「遺伝子ドライブ」の技術を用いた。
特定の遺伝子を、世代を越えて
集団の中に急速に広めていく方法だ。
博士は、ひっそりと実験室で
小さな生き物たちにジェミニ回路を組み込んでいった。
食べ物に紛れ込む小さな虫
飲み水に触れる微細な生物
人の生活圏を縫うように移動する、目立たない運び手たち
「これは、あくまでも“良心の部位が欠損している人間”にしか作用しない」
正常な良心を持つ人には、一切の影響がない。
副作用も、動物実験とシミュレーションで徹底的に検証済みだった。
それでも、
これが「人類への一方的な介入」であることは、
博士自身が誰よりも理解していた。
スイッチを押せば、後戻りはできない。
博士は静かに目を閉じ、
最後にもう一度だけ計算結果を見直すと、
ゆっくりとシステムを起動した。
それから、世界は少しずつ、しかし確かに変わっていった。
良心のない人間は、
ある日を境に、
ほとんど姿を消した。
突然“善人”になったわけではない。
ただ、それまで平気で踏み越えていた線が、
どうしても越えられなくなった。
利益のためなら何でもする企業幹部が、急に躊躇しはじめる
戦略のために大量殺戮を選ぼうとしていた指導者が、署名の手を止める
快楽のために他者を傷つけていた者が、意味の分からない罪悪感に襲われる
そうして、
悪意を伴った暴走そのものが、
急激に減っていった。
科学は、
悪用されることへの恐怖から少しだけ解放され、
かつてない速度で進歩しはじめた。
エネルギー問題も、食糧問題も、環境問題も、
少しずつ現実的な解決策が広がっていく。
後に人類は、
その時代を振り返ってこう呼ぶことになる。
「本物の楽園」への、最初の一歩だったと。
そんなある日のことだった。
A博士は、法廷に立たされていた。
裁判長が、厳かに判決文を読み上げる。
「被告人Aは、良心が欠損していた数多くの人間から、
『良心を取り戻すか否か』という選択の権利を奪った」
傍聴席は静まり返っている。
「これは、人類史において例を見ないほどの、
重大かつ広範な人権侵害である」
つまり、博士はこう告発されていた。
“善悪を感じない自由” を、
“善悪を感じるように修正する”ことで奪った、と。
裁判長は続けた。
「よって本裁判所は、被告人Aに対し、
死刑を言い渡すものである」
「被告人A、異議はないか?」
A博士は、静かに立ち上がった。
「はい」
法廷中の視線が集まる。
「この結果がどうなるかは、
すでに十分に検討したうえで行動しました」
一度だけ深く頭を下げてから、
ゆっくりと言葉を続ける。
「人類がどう判断するかも、
その結果を私がどう裁かれるかも、
すべて含めて覚悟のうえでした」
A博士は、表情ひとつ変えずに告げた。
「異議は、ありません」
人類が大きな技術的進歩を遂げるたび、
その影にはいつも「悪用」の危険がつきまとう。
武器
エネルギー
情報
遺伝子
どれも、「使い方」次第では救いにもなり、破壊にもなる。
技術が簡単で便利になるほど、
そのリスクはむしろ高まっていく。
だとすれば、本来は
「良心そのもの」を
最優先で研究・保護すべきなのかもしれない。
人を苦しめることが平気な心
自分の利益のためなら何でも正当化できてしまう思考
そうした傾向が、
もし生物学的・神経学的な「偏り」として説明できるなら、
それを矯正する技術を使うのは、
社会を守るために必要なことなのか
という議論も、
いずれ避けられなくなるだろう。
しかし同時に、こうも問われる。
「良心を持たない」というあり方も、
一つの“人間らしさ”だと認めるべきなのか。
「善悪を感じない自由」を、
他者の安全の名の下に奪ってよいのか。
良心を補正する技術は、
人類を守るための手段になり得る。
だがそれは同時に、
人権と自由の定義そのものを、
静かに書き換えてしまうのかもしれない。
人類を守るために、
どこまで「良心」に介入していいのか。
その線引きを誤れば、
良心のない者を減らすはずの技術が、
気づけば“良心のある独裁”を生み出していた
──そんな未来も、決して絵空事ではない。
A博士の選択は、
救済か、侵害か。
もし同じ装置が目の前にあったとしたら、
スイッチを押すのか押さないのか。
その問い自体が、
すでに「良心」のテストなのかもしれない。