本能は、分かりやすい方向へ流れます。
強いものに従い、弱いものを駆逐する。
弱肉強食。
生き残るための、単純で強力な仕組み。
その延長として、私たちはときどき、こんな行動を“自然に”してしまう。
より強い権力に媚びへつらう。
強いものに憧れ、近づこうとする。
そして、弱いものを見下す。
けれど私は、そうした“本能の流れ”の中にさえ、別の可能性を見ます。
それは、人間は本能だけの存在ではない、ということです。
本能だけで生きるなら、別に人間でなくてもいい。
人間には、本能にすら価値を見いだせることで、活かせる能力が備わっている。
恐れも、怒りも、欲も、競争心も、ゼロにはできない。
でもそれらを、壊す方向ではなく、守る方向や育てる方向へ使える瞬間がある。
ここで言う価値とは、尊重に値するものという意味です。
そして人間は、自分より弱いものにも価値を見いだせる。
尊厳を見いだせる。
自分とは違う存在を、ただの“道具”にしないでいられる。
その姿勢があるから、知らない人同士でも協力できる。
ただし、ここには条件があると思います。
人は、見知らぬ人とも助け合える。
でもそれは、単に「助ける気分」になれたからではない。
見知らぬ人にも価値を見いだせること、そして同時に、尊重できることによって成立する。
価値を見いだせても、尊重がなければ、相手は“利用される側”に見える。
利用される不信感が生まれれば、協力は続かない。
だからこそ、人間の特権は「価値を見いだす」だけでなく、「尊重できる」にまで届いている必要がある。
価値を見いだせるだけではなく、尊重できること。――これが協力を可能にする。
私は、これが人間の特権だと思います。
そして私はもう一つ、人間が地球の上で「頂点」に立ってきた理由も、ここにあると思っています。
頭が良いからだけではない。
道具が作れるからだけでもない。
価値を見いだし、尊重し、さらに生み出せるから。
見知らぬ人にも価値を見いだせる力。
目に見えないものにも価値を見いだせる力。
そして、その価値を尊重し合える力。
この積み上げが、文明になった。
さらに人間は、もっと不思議なことができます。
一見すると何もないように見える、目に見えないものにさえ、価値を見いだせる。
信頼。
優しさ。
誠実さ。
約束。
思いやり。
祈り。
希望。
それらは、物質ではありません。
手で掴めない。計量できない。
でも、人はそこに価値を見いだし、エネルギーを生み出してしまう。
その価値が、人を動かし、社会を動かし、歴史すら動かす。
目に見えないものが、現実を変えてしまう。
そして、その「見えないもの」には、心だけではなく、世界の仕組みも含まれます。
何も見えないところに、法則を見つけられる。
たとえば、E=mc² のような関係を見つけられることで、世界の理解のしかたを変えてしまう。
その結果として、私たちはエネルギーの扱い方を変え、現実の形まで変えてきました。
目に見えない“何か”を見つけられて、そこに意味を与えられる。
そして、その意味が現実の力になる。
価値を見いだし、尊重し、現実を動かす力に変えられる。
それこそが、人間の特権なのだと思うのです。
そして、ここで私はもう一歩だけ踏み込みたい。
人間の特権は、「人間を尊重できること」だけではない。
人間に限らず、全ての他者を尊重できること。
それが、人間の特権なのだと思います。
動物。植物。昆虫。
見知らぬ誰か。
立場も文化も違う相手。
自分にとって都合の悪い相手でさえ。
尊重するか、切り捨てるか。
搾取するか、共存するか。
本能は、簡単な方へ流れます。
でも人間には、本能を活かす形で選べる能力がある。だから、選べる瞬間が訪れる。
その瞬間に、目に見えない価値を選ぶ。
弱さの中に価値を見いだす。
他者の中に尊厳を見いだし、尊重する。
私はそれを、人間の「特権」と呼びたいのです。