カオリは、例の「対談しませんか」というメールを、削除できずに残していた。
マーケ塾。誠実なPR。理想形。
言葉は綺麗だった。
そして綺麗な言葉ほど、怪しい。
その夜、匿名メールが届いた。
件名は、「塾の先生」。
「カオリさん。次は“教える側”の匂いを嗅げ。
先生は、善意で始まる。
だが先生は、必ず依存を生む。
・生徒は、答えを求める
・先生は、答えを与える
・答えは、また次の答えを要求する
あなたが探すべきは、技術ではない。
“先生が必要な状態”を、誰が作っているかだ。
成功を祈っている。
匿名」
カオリは、画面を閉じた。
閉じたのに、頭の中で文章が続いた。
——先生が必要な状態。
次の日、カオリは“普通の塾”を取材することにした。
オンラインのマーケ塾ではなく、地元の学習塾。
匿名の言う「匂い」を確かめるには、まず純度の高い方から見るべきだと思った。
塾の先生は、思ったより若かった。
声が落ち着いていて、言葉が少ないのに、目だけがよく動く人だった。
「勉強って、結局、習慣です。
才能より、反射です」
その一言で、カオリは少し笑いそうになった。
反射。どこかで聞いた言葉だ。
自分もずっと、反射で記事を書いている。
先生は、壁一面の合格実績の前で言った。
「親御さんは、不安なんですよ。
だから“安心の形”が欲しい。
週何回、何時間、何点上がる。
それを数字にするのが、塾の役割でもあります」
カオリはメモを取った。
数字。安心の形。
これも、どこかで見た構造だ。
「でも、依存させたいわけじゃないですよ」
先生はすぐに続けた。
「最終的には、自分で回せるようにしたい」
カオリは頷いた。
それが理想だ。
理想の先生だ。
——なのに。
先生の机の上には、保護者向けの資料が置かれていた。
そこには、綺麗な見出しが並んでいた。
「不安を減らす学習設計」
「親がやるべきサポート」
「落ちる子の共通点」
カオリは、その見出しの美しさに息を止めた。
美しすぎる。
“安心の形”が、完成している。
先生は悪い人じゃない。
むしろ誠実だ。
でも誠実さの上に、売れる設計が乗っている。
その日の夜、カオリは記事を書いた。
タイトルは、少しだけ強くした。
「塾の先生は、答えを売っているのか」
記事はよく読まれた。
教育関係の読者からも反応が来た。
「考えさせられた」
「子どもに何を与えるべきか悩む」
「先生も苦しいんだ」
カオリは、ほっとした。
今回は、誰かを傷つけずに済んだ気がした。
だが、公開の翌日。
例のマーケ塾から、またメールが届いた。
「記事、素晴らしかったです。
教育もマーケも同じです。人は不安を減らしたい。
だから、あなたも“先生側”に立ちませんか」
添付ファイルには、講座の構成が書かれていた。
「ブログで稼ぐ再現講座」
第1章:入口の作り方
第2章:信頼の取り戻し方
第3章:透明性の武器化
第4章:顧客の継続設計
カオリは、指を止めた。
それは、今まで自分が歩いた道そのものだった。
——私の体験が、カリキュラムになっている。
そして、カリキュラムになった瞬間、体験は商品になる。
商品になった体験は、次の体験を要求する。
それは、匿名が言っていた「次の正直」と同じ構造だった。
カオリは断り文を作りかけて、やめた。
代わりに、画面を見つめた。
“先生側に立つ”。
その言葉は、妙に甘い。
だって先生は、正しく見える。
先生は、誰かを救っているように見える。
先生は、自分を肯定できる。
でも——先生は、必ず依存を生む。
その夜、匿名メールが届いた。
件名は、「遺伝業界」。
プレビューには、こうある。
「次は、もっと静かで、もっと戻れない入口だ。」
カオリは、スマホを伏せた。
背中が冷えた。
教育やマーケの話から、いきなり“遺伝”へ飛ぶ。
飛びすぎている。
なのに、飛びすぎていない気もした。
入口は、いつも同じ形をしている。
安心。正しさ。救い。
―――――
先生は、答えをくれる。
答えは、安心をくれる。
安心は、次の安心を要求する。
あなたが「教わる側」にいるとき、
あなたが本当に欲しいのは、答えだろうか。
それとも——答えがあると思い込める状態だろうか。
そしてもし、あなたが「教える側」に立つなら。
その言葉は、誰を自由にするのだろうか。
生徒か。先生か。——それとも、仕組みか。
次回:「遺伝業界」