胡散臭さをめぐる思考遊戯。
カオリは、スタジオ案件の記事を公開してから、毎朝早く目が覚めるようになっていた。
胸の奥が、薄くざわついたまま。
数字は伸びている。
収益も増えた。
それなのに、頭の片隅でずっと同じ言葉が鳴っている。
「誰のための記事か分からなくなる」
カオリは、自分に言い聞かせた。
私は嘘を書いていない。
私は分析を書いただけだ。
私はプロとして、求められた仕事をしただけだ。
——プロ。
その言葉を口にした瞬間、なぜか胃が重くなった。
その夜、メールが届いた。
件名は、「胡散臭いプロ」。
本文はさらに短い。
「カオリさん。あなたは気づいた。
今のあなたは、“正しいのに胡散臭い”。
大丈夫だ。信頼は取り戻せる。
方法は簡単だ。
“透明性”を売れ。
あなたの悩みと葛藤を、記事にしろ。
人は、正しさより、迷いに信用する。
ただし、注意しろ。
迷いもまた、演出になる。
成功を祈っている。
匿名」
カオリは笑った。
笑ってしまった。
胸の底が冷たくなっているのに、口元だけが動く。
透明性を売れ。
つまり、罪悪感をコンテンツにしろ、と言っている。
——汚れを、商品にする。
カオリはPCを閉じた。
寝ようとした。
でも、寝られなかった。
翌朝、カオリは記事を書いていた。
タイトルはこうした。
「胡散臭いプロになった日」
本文は、嘘じゃなかった。
匿名メールのことは書けない。
スタジオ案件の細部も書けない。
でも、胸のざわつきなら書ける。
「私は、正しいと言えることをした。
それでも、自分が薄くなった気がした。
『プロ』になった瞬間、
なぜか自分が遠のいた」
書きながら、カオリは気づいた。
この文章は、よく回る。
よく刺さる。
そして何より、よく“救われる”。
自分が。
記事を公開すると、読者が味方になった。
「分かる」
「誠実だ」
「正直でいい」
「こういうのが読みたかった」
数字は、また伸びた。
今までよりも、伸びた。
カオリは、ほっとした。
これだ。これが欲しかった。
“信頼を取り戻す”って、こういうことだ。
だが、数日後。
同じ読者が別の記事にもコメントするようになった。
「カオリさんの葛藤、もっと聞きたい」
「次はどんな闇が出るんですか?」
「正直でいてください」
カオリは画面を見つめた。
正直でいてください、という言葉が、なぜか重い。
“正直”が求められると、
正直は、義務になる。
義務になった正直は、すぐに形を持つ。
形を持った正直は、すぐに型になる。
カオリは、次の記事で「葛藤」を増やそうとしている自分に気づいた。
増やさなければ、読者が離れる気がした。
増やせば、数字が伸びる気がした。
——つまり、私は今、
迷いを演出しようとしている。
その時、メールが届いた。
件名は、「真実の広告」。
プレビューの一行だけが光っている。
「次は、“本当のこと”を武器にする話だ。」
カオリは指を止めた。
本当のこと。武器。
その二つが並ぶだけで、
胸の奥が少しだけ痛んだ。
―――――
胡散臭さは、嘘から生まれるとは限らない。
“正しいことを、正しく使う”ほど、胡散臭くなることがある。
透明性も、誠実さも、価値がある。
だからこそ、それはすぐに商品になる。
あなたが「正直」を差し出すとき、
それは誰のための正直なのだろうか。
そしてその正直は、あなた自身を守るのか——それとも、次の義務を作るのか。
次回:「真実の広告」