理想は立派だ。
でも人は、理想より先に、目の前の自分に反応してしまう。そんな思考遊戯。
A子は、ダイエットをすることに決めた。
理由は少し変わっていた。
美しくなりたいからでも、健康のためでもない。
A子の目的は、贅沢を我慢することが、巡り巡って貧しい人たちの助けになるという信念だった。
もちろん、頭では分かっている。
自分が間食を減らしたところで、どこかの国の飢えが直接減るわけではない。
それでもA子は思ったのだ。
「私が“それを意識して”我慢することには、意味がある」
「誰かに影響して、その影響が連なって、遠くまで届くかもしれない」
――そう信じた。
だが現実は、きれいに進まない。
我慢できない。
衝動に負ける。
夜になると、口が勝手に何かを探す。
朝になると、昨日の自分を責める。
A子は心の中で叫んだ。
「大きな理想のためなら、命をだってかけられるのに」
「なのに、甘いもの一つで、私は負けるの?」
世の中は、欲望を刺激する情報で溢れていた。
広告、写真、動画、口コミ、限定、今だけ、あと少し。
“食べろ”という命令が、四方八方から降り注いでくる。
そんな中で、たった一人で我慢するのは――
正直、無理ゲーに見えた。
A子は思い詰めていった。
「いっそ、貧困で苦しんでいる国へ引っ越したほうがいいのかも」
「誘惑がない場所なら、私も変われるのかもしれない」
……そんなある日。
運命の出会いとも言える出来事が起きた。
A子に、好きな人ができたのだ。
付き合い始め、幸せな日々が続くうちに、
ダイエットのことは、いつの間にか後ろへ追いやられていった。
やがてA子は、結婚を考え始めた。
そのとき、彼がぽつりと言った。
「お前が、もう少し痩せてたらな」
その言葉は、雷のようだった。
善意の理想よりも、
遠い世界の貧困よりも、
一つの言葉が、A子の身体を貫いた。
A子は、心機一転した。
翌日から、食事を整え、間食を減らし、歩き、記録を付けた。
逃げ道を塞ぎ、誘惑を遠ざけ、淡々と続けた。
そして――
A子のダイエットは、成功した。
A子は鏡の前で、ふと笑った。
「結局、私を動かしたのは、理想じゃなかったんだな」
―――――
大勢の貧困の人たちを思う気持ちより、
自分自身のことを思ったほうがモチベーションになる。
そうだったとしても、それは責められることではない。
人は、理念だけで動けるほど単純ではない。
むしろ、理念を掲げながらも、結局は自分の痛みや喜びで動いていることが多い。
では、逆はどうだろう。
自分の身を犠牲にして、多数の命を救う行為。
それは英雄的行為と呼ばれるかもしれない。
だが、英雄にならない人が皆、道徳に反しているわけでもない。
どちらにしても、大きな努力と決断が必要になる。
何かが犠牲になる限り。
あなたが動けるのは、理想のためだろうか。
それとも、目の前の一言のためだろうか。