罪は、良い行いで相殺できる。
――そう思った瞬間から、もう捕まってる。――裏思考遊戯
都会の夜。閉店後の銀行に、A男が入り込む。
凄腕の強盗。仕事は早い。迷いもない。
目的は金で、言い訳は要らない。
金庫室の前に立ったとき、A男は気配を感じた。
中に、先客がいる。
B男。
この銀行のセキュリティ設計に関わった技師。
スーツでも制服でもない、妙に静かな男だった。
「来たな」
A男は一瞬で距離を測る。
脅して黙らせるか、無視して抜けるか。
だが、B男は怯えない。むしろ、待っていた顔をしている。
「邪魔すんな。どけ」
B男は首を振る。
「どかない。
ただ、撃ち合いにしたくない。俺も、君も」
A男は鼻で笑う。
「説教か?」
「説教じゃない。中和だ」
A男は眉をひそめた。
「中和?」
B男は落ち着いた声で言う。
「君は“悪”をやってる。
でも、君の中に“善”が残ってるのも分かる。
だから揺れてる。だから、今日は手が止まった」
A男の指が僅かに硬くなる。
当てられた。
自分でも気づかないふりをしていた部分を、言葉で刺された。
B男は続ける。
「君が奪ったものを、今度は与えろ。
返せる範囲でいい。誰かを助けろ。
そうすれば君の中の毒は薄まる。バランスが戻る」
A男は吐き捨てる。
「綺麗ごとだ。俺がやってきたことは、そんなので消えない」
B男は頷く。
「消えない。
でも君は、消したがってる。
だから、どこかで“帳尻”を合わせたがってる」
A男は黙る。
言い返せない。
その沈黙が、B男には答えに見えたらしい。
「君はずっと、理由を探してたはずだ。
“こうなったのは仕方ない”って言える理由を。
でも、理由を見つけても、心は軽くならない。
なら、行動で中和しろ。免罪符じゃない。向き合うためだ」
A男の喉が乾く。
なぜか、銃口が下がる。
中和。帳尻。向き合う。
その言葉が、A男の中の“人間”を起こしてしまった。
――その瞬間だった。
遠くでサイレンが鳴った。
近づく。増える。包囲の気配が濃くなる。
A男は顔色を変え、B男を睨みつけた。
「……てめぇ、通報したな」
B男は否定しない。
静かに言う。
「した」
A男の中で何かが切れる。
「俺を“中和”させる話をしておいて、罠かよ」
B男は淡々と返す。
「罠じゃない。現実だ。
君に必要なのは“中和”じゃない。停止だ。
止まらない限り、君はまた奪う。
そして、また理由を探す。永遠に」
A男は叫ぶ。
「裏切りだ!」
B男は首を振る。
「違う。
君が今までやってきたことを、初めて“現実の形”に戻しただけだ。
君は今日、選べた。撃つか、逃げるか、話を聞くか。
君は話を聞いた。
それが君の中の“善”だ。そこだけは、嘘じゃない」
扉が破られ、光が差し込む。
A男は手を上げるしかなかった。
銃は落ちた。
そして、胸の奥の“正当化”も一緒に落ちた気がした。
連行される直前、B男が最後に言った。
「刑務所は、君を罰する場所じゃない。
君の中の暴走を止める場所だ。
君が“与える側”に回るのは、その後だ。
中和は、逃げ道じゃない。入口だ」
A男は笑った。
笑うしかなかった。
入口の先が、檻にしか見えないからだ。
さて。
善と悪は混ざる。誰の中にも。
問題は、その混ざり方を「帳尻合わせ」で済ませようとすることだ。
あなたはどうだろう?
自分の中の毒を、何で薄めようとしている?
裏側を言う。
「いいことをすれば、悪いことが相殺される」
この考えは、便利だ。
罪悪感を扱いやすくするからだ。
でもそれは、同時に危険でもある。
なぜなら、人は「相殺できる」と思った瞬間に、
悪を“計算”し始める。
ここで奪って
あそこで施して
これでプラマイゼロ
そんな帳簿の中では、被害者は数字になる。
痛みは項目になる。
そして最後に、自分だけが救われた気になる。
本当の中和は、帳尻合わせじゃない。
止めることと、向き合うことだ。
まず止める。次に向き合う。順番が逆になると、言葉は免罪符になる。
あなたが今「中和したい」と思っているものは何だろう。
罪か、後悔か、嫉妬か、怒りか。
それを“良いこと”で薄めようとしていないだろうか。
それとも、止めるべきものを止めずに、先に救われようとしていないだろうか。