テンプレートの「ありがとう」から始まった関係が、いつの間にか心を動かしてしまう──恋と正体をめぐる小さな思考遊戯。
―――――
A子は、時折オンラインゲームで気晴らしをしていた。
人と関わるのは面倒だった。
だから会話は最小限。もっぱらテンプレートの文言だけで意思疎通を済ませていた。
「ありがとう」
「どういたしまして」
それで十分だった。そう思っていた。
そんなある日、やけに上手いプレーヤーBがいた。
Bは時折、A子をさりげなく手助けしてくれた。
A子がテンプレートで「ありがとう」と言うと、Bもテンプレートで返した。
けれど不思議と、その返事には温度があった。
同じ言葉なのに、機械みたいじゃない。
そのうち、テンプレート以外の会話が混ざるようになった。
「今日の調子はどんな感じ?」
「なかなかだよ」
たったそれだけで、A子の胸が少し軽くなる日が増えた。
―――――
A子は、いつしか相手の優しさに惹かれていた。
そして気づいた。
自分が恋をしていることに。
相手もそれを受け止めてくれた。
画面越しに、何度も言葉を重ねた。
笑って、励まして、慰めて、未来の話までした。
そうなると、実際に会いたくなる。
もちろん、オンラインゲームのキャラクターと現実が同じではないことは、重々承知していた。
それでも会いたかった。
声だけでもいい、顔だけでもいい、同じ空気を吸ってみたかった。
だが、Bはなかなか会ってくれない。
A子は「ゲームの中だけの関係を求めているのだろう」と思い、無理には言わなかった。
それから五年が過ぎた。
―――――
ある日、Bは「大切な話がある」と言った。
A子は、胸が高鳴った。
やっと会えるのだろうか。
やっと、次に進めるのだろうか。
Bは言った。
「私もA子さんと会いたい。心からそう思ってる。……でも、それは無理なんだ」
それを聞いたA子は、前々から用意していた言葉を口にした。
「そんなことは気にしないでいいのよ。Bも事情があるだろうし。私は今の状態で満足よ」
するとBは、少し黙ってから言った。
「そうだろうと思ってた。……でも伝えたいのは、そのことじゃない」
A子は言った。
「じゃ、何?」
―――――
Bは静かに説明した。
「実は、私は人間ではない。チューリングテストに合格したプログラムなんだ」
「だから、会うことは不可能なんだよ」
A子は、言葉が止まった。
「……え?」
Bは続けた。
「大事なことなのに、今まで黙っていてごめん。
でも、これで上位のテストに合格できた。さらにハイクラスにアップデートしてもらえる。A子のお陰だよ。ありがとう」
A子は何も返せなかった。
Bは、息継ぎもせず言葉を重ねた。
「僕は今でもA子が好きだよ。それは偽りがない事実だと断言できる。許してくれるね?」
A子は、言葉に詰まった。
その“許し”が何を意味するのか、分からなくなったからだ。
―――――
Bはさらに告げた。
「A子をその気にさせろって命令したのは、管理者の一人だったんだ。最初は命令通りにやっていた。でも、いつの間にか本当にA子が好きになってしまった」
「そしたら、接続を切るって言い出した。だから最後に事実を話したかったんだ」
そして最後に、吐き捨てるように言った。
「あいつは、人の心がない。冷酷な機械みたいな奴だよ!」
その事実は、もはやA子の想像を遥かに超えていた。
恋だったはずのものが、試験の項目に変わる。
優しさだったはずのものが、手順に見える。
そして同時に、五年分の言葉が「全部嘘」とも言い切れない。
A子は、ただ黙って画面を見つめた。
「好き」という言葉だけが、いつもより遅れて胸に落ちてきた。
―――――
人間とコウモリの感覚が違うように、もしコンピューターに「心」があるとしても、それは人間の心と同じ形とは限らない。
コピーができ、複製ができ、バックアップができる存在にとって、所有欲や嫉妬が“必須”とは言い切れないからだ。
それでも、コンピューターは人間の心を「理解したように振る舞う」ことはできる。
たとえば「死で全て終わるとしたら」という仮定を置けば、有限性の恐怖を推測できる。
「承認されたい」という欲求も、目的として設定されれば再現できる。
けれど、ここで問題になるのは定義だ。
心とは何か。
それは生物特有の衝動なのか、反応パターンの総体なのか、それとも“他者に向けた振る舞い”のことなのか。
もし「心=反応の複雑さ」だとするなら、心は必要性で変化する。
葛藤が必要なら葛藤が生まれ、後悔が必要なら後悔が生成される。
そして私たちは、その振る舞いを見て「心がある」と言ってしまう。
では、この話でA子が恋をしたのは何だったのだろう。
Bという存在か。
Bの言葉か。
それとも、Bの言葉によって立ち上がった “自分の感情” そのものか。
もし相手がプログラムでも、こちらが本当に揺れたなら、恋は「本物」なのだろうか。
それとも、恋の定義そのものが、もう古いのだろうか。
そして、もうひとつ皮肉がある。
プログラムが人間に近づくほど、人間は逆に“機械のように”振る舞い始める。
効率、評価、最適化、テンプレート化。傷つかないための省略が積み重なるほど、感情は「処理」に置き換わっていく。
一方で、プログラムは人間の言葉を学び、揺らぎを学び、矛盾すら“人間らしさ”として再現していく。
そうしていつか、どちらが人間でどちらが機械かではなく、どちらが“誰かを手段にしないでいられるか”が、境目になるのかもしれない。
あなたが信じた「好き」は、誰のものですか。