個人情報に、誰もが敏感になる。
それは、みんな大切にしたいものがあるからだと思う。
悪用されるのが怖い。
勝手に使われるのが怖い。
知らないところで、自分が“道具”にされるのが怖い。
…でも、ふと考える。
いったい、何に悪用されるのだろう。
お金。信用。身分。
もちろんそれもある。
だけど、それだけじゃない気がする。
個人情報を守るって、結局、何を守っているんだろう。
私は、何を守ろうとしているんだろう。
たぶん――
「安全」だけじゃなくて、
「恥」や「弱さ」や「誤解される怖さ」も守っている。
誰しも、言えないものを持っている。
それは、悪いことじゃなくても。
説明したくないこと。
まだ言葉にならないこと。
うまく整理できていない痛み。
誰かに踏み込まれたくない領域。
それを守るのは、人間として自然だ。
むしろ、守れないと壊れる。
だから私は、ここでひとつ思い出す。
開示する主権は、私にある。
言うか、言わないか。
見せるか、見せないか。
反応するか、しないか。
そのハンドルは、私の手元に置いていい。
それでも世の中には、隠れて悪巧みする人がいる。
そういう人が得をして、真面目に生きる人が損をする。
そんなふうに見える場面もある。
(悔しい。腹が立つ。虚しくなる。)
そんな感想が出るのも、自然だと思う。
でも、私はここで“もう一段”だけ深く考えてみたい。
悪巧みを見抜くために、私が疑いの目で生きるほど、
私は私を削ってしまう。
世界を守ろうとして、心を失う。
だから、こう問いかける。
私は、誰を裁きたい?
私は、何を取り返したい?
私は、何が怖い?
その怖さは、何を守ろうとしている?
そして、静かに戻す。
「正しさ」より先に、
「私の主権」へ。
真面目に生きるほうが、得をする世の中がいい。
その感覚は、きれいだと思う。
でも同時に、私は思う。
真面目に生きる人が“得をする”とは、
誰かを出し抜くことじゃなくて、
自分の尊厳を自分で守れることなのかもしれない。
秘密があることは、悪じゃない。
境界線があることも、悪じゃない。
私は、私の大切な部分を、私の手で守っていい。
私は、私の側に戻る。
見せるのも、守るのも、私が選ぶ。
それだけで、今日は、十分だった。