効率が重視される時代になりました。
世界中とつながり、情報が洪水のように入ってくる。すると、世渡り上手や要領の良さが得をするように見えてしまいます。
自ら苦労を選ぶことが、愚かに見える瞬間さえあるでしょう。
不快でさえ、切り取ってネタにすればお金に変えられる。
だから余計に、「痛み」や「遠回り」は、避けるのが正解のように思えてしまうのかもしれません。
けれど、私は思います。
人間性は、隠し続けられないと。
言葉では取り繕えても、顔の表情や雰囲気に、じわりと滲み出てしまう。
そして、どんなにお金があっても、要領が良くても、問題そのものが消えるわけではありません。
人間は結局、悩み、怖れ、迷う。そこは平等です。
だからこそ、人生の差は「問題があるかどうか」ではなく、
問題と向き合う姿勢に、厚みがあるかで決まっていくのだと思います。
私が思う人間性は、「反応の良さ」や「口の上手さ」とは逆のところにあります。
その場の勢いではなく、全体をどう受け止め、どう積み重ねてきたか。
その総括のようなものが、あとから静かに滲み出てくる。
ここで大事なのは、知識や情報ではなく、知恵です。
ただし、悪知恵は違います。
誰かを出し抜くための知恵は、結局どこかで相殺されて、厚みになりません。
むしろ、薄さを加速させてしまう。
人間性の厚みは、努力の量だけで増えるとは限りません。
もっと根っこのところで、必要なのは 自分自身との協力体制 だと思います。
どんなに大変でも、どんなに自分の嫌な面が見えたとしても、
誠実に向き合い、包み込み、協力していく。
「敵にしない」こと。見捨てないこと。
それができると、人は簡単には折れなくなる。
逆に、誤魔化しや逃げが増えるほど、人生が“回避の連続”になっていく。
逃げれば逃げるほど、いつか辻褄合わせが苦しくなり、また別の誤魔化しが必要になる。
そうやって、人は自分とも他人とも、まともに向き合えなくなっていくのかもしれません。
それでも世の中には、効率の外側を歩く人がいます。
意味がないように見えても、ただひたすら歩いている人。
自然を汚さないように気を配りながら、ひたすら山を登っている人。
目立たないところで、黙々と整え、守り、続けている人。
そこにあるのは、派手な成果ではなく、姿勢そのものの美しさです。
そしてそれが、顔つきと雰囲気に出てくる。
その積み重ねが、人を静かに強くするのだと思います。
私も同じです。
大変なのに、意味がないかもと思いながらも、
「こうでもない。ああでもない」と悩みながら、
それでも丁寧に、一つ一つ吟味しながら、ここに置いていく。
これが利益や利害のためになると、話は変わってしまいます。
苦労を“演出”に変えた瞬間、厚みは増えるどころか、削られて相殺されてしまう。
誰かを踏み台にして得た成果は、結局、自分の中に不信を残します。
私は、まだまだ薄っぺらい人間です。
年齢を重ねて、僅かに厚みが増したくらい。
だから、まだこれからです。
利害関係なく、このサイトだけ残している理由のひとつも、ここにあります。
「誰かの役に立つかも」という気持ちは、確かにある。けれど正直に言えば、それは僅かで、ほとんどが自己満足なのだと思います。
それでもいい。
私は、逃げずに自分と向き合うために、ここに書くのです。
そして最後に、もう一つだけ。
私のことよりも
ただ、大切な存在を守るために。