救いを願うたび、私たちは「外側」に助けを求める。けれど――外側にいると思った瞬間こそ、すでに何かの台本の中かもしれない。そんな“入れ子”の思考遊戯。
A男は、ドラマを観ていた。
観続けるうちに、主人公へ感情移入していた。
主人公は、ピンチの連続だ。
だが主人公は、裏切り者に気づかない。
それどころか、まだ信じている。
そして、祈りだした。
「このピンチを、どうか乗り越えさせてください……」
A男は耐えきれず、思わず口に出した。
「何やってんだ。早く気づけよ。俺が中に入れるなら、入って教えてやるのに」
もちろん入れるわけもない。
A男は肩を落とし、結局は見守るしかなかった。
やがて最終回。
A男は伸びをして、少し満足した声で言った。
「あ〜面白かった」
そして、私生活へ戻った。
ところが――A男の現実も、ドラマに引けを取らないピンチ続きだった。
職場でミスが重なり、なぜか責任だけが集まる。
頼りにしていた同僚は、いつも肝心な場面で“抜ける”。
だがA男は、それを「疲れているだけ」「偶然だ」と解釈していた。
ある日、決定的な場面で同僚は消えた。
A男だけが前に立たされる。
A男は歯を食いしばり、机を叩いた。
「クソッ……どうすればいいんだ……」
あらゆる手を尽くした。
謝罪し、残業し、頭を下げ、改善案も出した。
それでも状況は変わらない。
最後にA男は、力が抜けたように座り込み、祈った。
「これだけ信じて、努力もしてるのに……
どうして助けてくれないんだ。神はいないのか……!」
その様子を、液晶画面で観ていたB男が、思わず口に出した。
「何やってんだ。早く気づけよ。俺が中に入れるなら、入って教えてやるのに」
B男は、モニターの前でポップコーンを噛み砕いた。
A男が右往左往するたび、B男の口角は少し上がる。
だが次の瞬間、どこからか声がした。
「フフフ……君は“外側”にいるつもりかい?」
B男は周りを見回した。誰もいない。
声だけが、部屋の空気を撫でるように続いた。
「干渉できるのは、神を超えた唯一無二の存在――“作者”だけだよ。
君たちは、文字通り、見守るしかできない」
そして、暗闇の奥で誰かがため息をついた。
「……しかし困った。次をどう展開させれば、もっとハラハラさせられる?」
そこにいたのは、作者だった。
机の上には書きかけの原稿。
画面の横には、再生回数と離脱率のグラフ。
作者は頭を抱え、唇を噛んだ。
「このままじゃ弱い。裏切りに気づかせるのが早すぎると、盛り上がりが落ちる……
でも引っ張りすぎると、飽きられる……」
作者はふと、天井を見上げた。
「お〜神よ。私の頭の中に、アイディアを降ろしてください……」
その祈りを、さらに別の画面が映していた。
そこには“読者”がいた。
読者は、作者の祈りを眺めながら、同じ台詞を口にする。
「何やってんだ。早く気づけよ。俺が中に入れるなら、入って教えてやるのに」
読者の画面の端には、小さく表示されている。
「次のおすすめ:似た物語」
そして、どこからかまた声がした。
「フフフ……君も“外側”にいるつもりかい?」
読者は一瞬、笑い、すぐに笑えなくなった。
―――――
もし人生が、誰かのシナリオだったら。
その仮定を置くだけで、いくつかのことが“妙に”説明できてしまう。
たとえば、こちらが必死に努力しても報われない場面。
たとえば、理不尽なアクシデントや、理解不能な裏切り。
「神がいるなら止めてくれ」と言いたくなる瞬間ほど、“物語としては盛り上がる”からだ。
そして、もっと怖いのはここからである。
私たちは、主人公に向かって簡単に言える。
「早く気づけよ」
「なんで分からないんだ」
けれど、同じ構造が自分の現実に来た瞬間、途端に見えなくなる。
見えているはずの裏切りも、都合よく“偶然”に見える。
気づくべきことほど、気づかない形で近づいてくる。
さらに言えば――
作者ですら「外側の神」に祈ってしまう。
なぜなら作者にも、作者の限界があるからだ。
視聴者の期待、評価、数字、締切。
それらは作者の“神”として振る舞い、作者の手を縛る。
結局、運命とは「誰かの意思」だけで決まるものではない。
外側にいると思った者の“期待”や“都合”が、静かに台本を書き換える。
だからこそ、問いはこうなる。
あなたが祈っている相手は、本当に“神”なのか。
それとも、見えない期待や恐れを“神”と呼んでいるだけなのか。
干渉できないのではなく、
干渉の形が「外から救うこと」ではなく、
「内側で気づくこと」になっているだけかもしれない。
そして、その“気づき”こそが――
もしかすると、物語の中で唯一、台本の外へ触れられる指先なのかもしれない。