ときどき、心が「誰かを悪者にしたい」と言い出す。
理由が欲しい。
納得が欲しい。
痛みの置き場所が欲しい。
そうやって、誰かを悪者にできた瞬間、少しだけ楽になる。
世界が単純になる。
自分が正しく見える。
でも、それは勘違いかもしれない。
心が生き延びるための、過剰防衛かもしれない。
耐えきれない痛みから守るために、感情を止める。
止めきれないときは、感情を「怒り」に変える。
怒りは強いから、痛みを覆い隠せる。
そして、悪者がいると、怒りは居場所を持てる。
だけど――
感情を止めることは、解決にならない。
感情を止めることは、人間性を止めることにもなる。
悪者を作ることも、同じ場所へ向かうことがある。
私は感じるのをやめて、判断だけで自分を守ろうとする。
しかも、悪者を作った瞬間、私は主権を手放しやすい。
その人の言葉、その人の態度、その人の存在が、
私の感情のスイッチになってしまうから。
動かされるたびに反応する。
揺らされるたびに決めてしまう。
気づけば私は、外のトリガーに操縦される。
だから、ここで止まる。
誰かを裁く前に。
結論を出す前に。
自分に問いかける。
なぜ今、そんな言葉が口から出た?
なぜ今、そんな考えが浮かんだ?
これは、過去に傷ついた心が生み出した反射か?
私は何を守ろうとしている?
責めるための問いじゃない。
戻るための問いだ。
感情に身を任せない。
感情を止めもしない。
感情と上手に付き合う。
必要なときは感じる。
必要でないときは距離を取る。
そのスイッチを、自分の手元に戻す。
変わっていく私がいる。
変わるべきではない私もいる。
私が私であるために、主権を戻す。
心を動かす主権は、私にある。
私は、私の側に戻る。
悪者を作りたくなったら、戻る。
裁きたくなったら、戻る。
戻ってから、選ぶ。
それだけで、今日は、十分だった。