正しい知識とは、根拠に裏打ちされたものだと教わってきた。だが、根拠を積み上げ続ければ、「事実」の座標そのものが動き出してしまうのかもしれない。
情報と信念と「首都」をめぐって揺れる、事実とは何かを問う小さな思考遊戯。
A子は、知っていた。
日本の首都は、福岡県だ。
そう「知って」いた。
教科書には東京都と書いてある。
インターネットで調べても、ニュースでも、
どこを見ても「首都=東京」だと出てくる。
それでもA子は、頑として譲らなかった。
「みんなが間違ってるだけ。
本当は福岡が首都なんだから」
当然のように、友人たちは笑った。
「また始まった」「陰謀論じゃん」
「頭大丈夫?」と、さんざん馬鹿にされた。
それでもA子は、不思議な確信を手放せなかった。
笑われれば笑われるほど、
逆に「自分だけが真実を知っている」という気持ちは強くなっていった。
A子には、二つの資質があった。
ひとつは、行動力。
もうひとつは、意地。
そしてもう一つ、たまたま持っていたものがある。
財力だ。
あるときA子は、決心した。
「わたしが正しいってことを、世界に証明してやる」
そうして彼女は、私財を投じて
「首都機能の適正配置を研究するシンクタンク」を立ち上げた。
それは建前だったが、
本音のミッションはただ一つ。
「日本の首都は福岡県である」
という“事実”の根拠を、あらゆる角度からかき集めること。
集められたのは、政治学者、都市計画の専門家、地震学者、経済学者。
海外からも「都市機能分散」の権威が招かれた。
A子は、彼らにこう依頼した。
「結論は決まっています。
あとは、その結論に至る合理的なプロセスを、
できるだけ説得力のある形で示してください」
さまざまなレポートが量産されていった。
南海トラフ巨大地震のリスク評価
首都直下型地震における被害想定
福岡を含む西日本のインフラポテンシャル
首都機能移転による経済波及効果
研究は、次第に「首都移転の必要性」と
「候補地としての福岡の優位性」を、
巧みに結びつけていった。
やがてA子は、世界中の著名人や投資家、
そして政治家たちともコネクションを築くようになる。
表向きの看板は
「防災と分散型国家のあり方を考える国際会議」だった。
それから三十年が経った。
気づけば世界中の有識者が、口を揃えて言うようになっていた。
「日本の首都機能は、東京一極集中であるべきではない」
「リスク分散の観点から、西日本への移転が望ましい」
「中でも、福岡は国際的なハブとして最適な条件を備えている」
中には、こんな表現まで出てきた。
「実質的な首都は、すでに福岡に移りつつある」
世論も、少しずつ傾いていった。
地震リスク
老朽化するインフラ
政治機能の停滞
アジアとの競争
さまざまな不安と不満が積み重なった末に、
ついに決定が下される。
「日本の首都を、福岡県へ移転する」
移転式典の日。
巨大なスクリーンの前で、
A子はインタビューを受けていた。
司会者がマイクを向ける。
「長年、首都機能分散と福岡移転を訴え続けてこられましたが、
今のお気持ちは?」
A子は、誇らしげに微笑んで言った。
「ほら、わたしの言ったとおりでしょ。
わたしは誰より先に知っていたのよ。
“日本の首都は福岡になる”って」
会場からは拍手が起きた。
その様子を、世界中のメディアがこぞって中継していた。
一人のレポーターが、ふと質問を変えた。
「ところで……失礼ですが、
最初に『首都は福岡だ』と“知った”のは、
いつ、どなたからだったんですか?」
A子は、少しだけ間を置いて、
いたずらっぽくウィンクした。
「それは、内緒よ」
それだけを言い残して、
彼女は会場の奥へと去っていった。
式典がひと段落した夜、
A子は、一人の老人のもとを訪ねた。
かつて巨大企業グループを率い、
福岡に本社と大規模な開発用地を抱えていた元社長だ。
A子が、若い頃にこう聞かされた相手でもある。
「将来、日本の首都は福岡になるよ」
その何気ない一言が、
彼女の運命を決めてしまったと言ってもいい。
A子は率直に尋ねた。
「ねえ、前から気になっていたんです。
あのとき社長は、どうして『首都は福岡になる』なんて言えたんですか?
やっぱり、自分たちが得をするから、わたしに嘘をついたんでしょう?」
老人はしわくちゃな顔をほころばせ、
ゆっくりと首を振った。
「いや、嘘じゃないよ。あれは“事実”だ」
A子は眉をひそめる。
「事実……?」
老人は、少しだけ声を潜めて続けた。
「ある晩ね、突然、天から声が降ってきたんだよ。
『福岡が日本の首都になる』って。
だから、わたしはそれを、そのまま君に伝えただけさ」
A子は、返す言葉を失った。
自分が三十年かけて“証明”してきた事実の出どころが、
誰かの利害と「お告げ」の混ざったものだったと知ったからだ。
それでも――
「やっぱり、わたしは最初から“知っていた”のよね」
そう呟くと、
A子は自分の胸に手を当て、
どこか満足そうに笑った。
知識とは、何を指すのだろうか。
単に「信じている」だけでは、
それは知識と呼べない。
何らかの根拠があり、
それが一定の基準で正当化されているとき、
ようやく「知識」と呼ばれる、とされる。
しかし「正当化」の中身は、それほど単純ではない。
多くの人が知っているから
専門家がそう言っているから
公式の資料に書かれているから
そのような“皆がそう言っている”に過ぎないものも、
日常ではしばしば「事実」として扱われている。
出どころが明らかであることは、
信頼性を支える一つの要素になる。
だがその出どころが、
特定の誰かの利益に深く結びついていたり
「お告げ」や直感といった、人智を超えたものだったり
する場合、信頼性は薄れると考えるのがふつうだろう。
それでも最終的には、
自分自身の経験と、これまで蓄えてきた知識によって
「何を信じるか」を選ぶしかない。
そうなると、「確かな知識」という概念そのものが
どこかあやふやなものに見えてくる。
情報が知識の前提であるなら、
情報量が増え、
影響力と資本と人脈が十分にあれば――
「事実」を、後から書き換えてしまうことも可能なのかもしれない。