嘘つきの天才Aは言った。「私は天才です」
信じる人と疑う人、その両方を同時に支配する構造を描く、解釈と支配をめぐる小さな思考遊戯。
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嘘つきの天才Aは言った。
「私は天才です」
中でもAは、自慢話が得意だった。
すぐに見破られない、調べることが難しい嘘を、ツラツラと語る。しかも頭の回転が早く、ツッコミには即座に上手くかわす。だから直感的に怪しいと思う人でさえ、最後には「なんだか凄い人なのかもしれない」と思わされてしまう。
Aは、警察すらも騙すことができた。
犯罪に関わっても、いつも自分だけは外側にいた。
協力していた組織が一線を越えたときでさえ、逆に組織を潰すために警察に“頼まれるよう仕組む”こともできた。
当然、金を稼ぐこともお手の物だった。
Aは投資もやっていた。
市場にもっと金を回したい、という顔をしたいとも思った。
そこでAは、ある考え方を広めることにした。するとAの周りに、Aの知名度にあやかろうとする人間が集まり、いつの間にかペテン師集団が形成された。
Aは言った。
「お金を稼ぐためには、お金を使いなさい。借金してでも使いなさい。借金は踏み倒しなさい」
この主張は乱暴だったが、Aは専門用語を操り、ツッコミにはすぐ返した。上手に返されると、多くの人は納得してしまう。
特に学歴が高いほど納得が早かった。理解が早いほど“自分は分かっている側だ”と感じやすいからだ。そうしてAの嘘は、信頼性をまとって磨かれていった。
Aに、信頼できる説明は必要なかった。
ただのもっともらしい話だけで、カリスマ性を築けた。
騙された愚かな人間だと思いたくない支持者は、ますます強固な信者になっていく。
疑われるほど、結束が固くなる。
疑われるほど、教祖が必要になる。
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そんなある日のこと、「私は無能の天才です」というBが現れた。
Bは無能だった。
だからこそ、誰よりもAに憧れていた。
なのに無能なせいで、Aの言うことが理解できなかった。
Bは、理解するために努力した。
一つ一つ、しっかりと裏付けを取っていった。
数字を確認し、言葉の出典を追い、専門用語を調べ、同じ結論に辿りつくまで何度もやり直した。
すると、Aの言っていることの多くが、デタラメだと判明してきた。
Bは、嬉しくなった。
「信じていたことに裏切られた」という怒りより、先に、別の感情が湧いた。
自分が賢くなった気がしたのだ。
そしてBは、ある瞬間を境に、変な静けさに入った。
開いた口が塞がらず、それすら通りこしたあと、こう思った。
「ここまでいったら、かえって面白い」
もしかするとBは、自分に言い聞かせていたのかもしれない。
だが、それはAの思惑通りだった。
Aは他の人間に、「自分は賢くなった」と思わせ、判断を誤らせることも目的の一つにしていた。
疑っているつもりの者を、疑い方ごと支配するために。
確かにBは、Aを疑い、怪しんだ。
それでもBは、Aの支配から目覚めることはなかった。
Bが「目が覚めた」と思った世界は、まだAの世界だった。
ただ、檻の名前が変わっただけだった。
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この話が怖いのは、嘘が巧妙だからだけではない。
「目覚めた」という感覚が、次の檻の鍵になることがあるからだ。
嘘は、信じる人だけを支配しない。
むしろ手強いのは、「疑っている側」だ。
疑っている側は、自分を守っているつもりで、“自分は分かっている”という快感を得やすい。すると、次に必要になるのは真実ではなく、その快感を維持できる解釈になる。
広義に解釈すれば、どんなことでもそれらしく見える。
幻でさえ、現実のように語れてしまう。
そして皮肉なことに、目が覚めたと思う瞬間ほど、世界は“用意された形”で美しく見える。
では、あなたが「目覚めた」と感じたその瞬間――
その目覚めは、あなたが選んだものだろうか。
それとも、誰かが選ばせたものだろうか。
檻は、信じる者のためだけに作られているわけではない。