「低評価をつけてやる」という脅しで、本物のサービスを受けることはできるのか?
「低評価をつけてやるからな」
拳を出さずに相手を動かせる気がする。
その手軽さが、妙に怖い。
関係を、いきなり“戦場”に変える言葉だからだ。
私はいつも、ここで引っかかる。
その脅しで、本物のサービスは受け取れるのだろうか。
脅された側が最優先するのは、相手の満足ではない。
自分が傷つかないことだ。
言葉は硬くなる
対応は最短になる
余計な裁量は消える
“仕様どおり”で終わらせたくなる
本物のサービスが宿りやすいのは、たいてい「余白」だ。
少しの気づき、少しの配慮、少しの“ついでの親切”。
でも恐怖があると、その余白は蒸発する。
脅しは質を上げるというより、人間味を剥がす。
とはいえ、低評価をつけたくなる瞬間はある。
価値に見合わない。
約束が守られない。
説明もなく、雑に扱われた。
その時、胸の中に小さな正義感が立ち上がる。
「他の人も同じ目に遭わないように」
そして正直に言えば、鬱憤も混ざる。
ここは否定したくない。人として自然だ。
ただ、ひとつだけ線を引きたい。
低評価を“脅し”に使った瞬間、それは腐る。
記録ではなく、首に縄をかける道具になるからだ。
もし残すなら、私はこうしたい。
「怒り」ではなく「事実」を置く。短く、具体的に。
そして、もっと簡単な選択肢もある。
二度と同じサービスを受けない。
それだけで、自分の人生から“損”を切り離せる。
提供する側は、評価を気にしすぎると歪む。
星のために笑顔を作り、星のために言葉を選び、
いつの間にか“誠実”ではなく“演出”になる。
逆に、開き直って気にしないのも一つの方法だ。
ただしそれが、
「価値に見合わないサービスで、一見客だけで回す」
という戦略に化けるなら、やっぱり歪む。
気にしすぎても、気にしなさすぎても、
どちらも人を雑に扱いやすくなる。
必要なのは星への反応ではなく、
自分の基準で、淡々と整える姿勢なのかもしれない。
受ける側として、評価は参考になる。
でも驚くほど外れることもある。
その日の混み具合
担当者との相性
期待値のズレ
こちらの疲れや機嫌
そもそも「良い」の基準の違い
ならしてみると、結局 五分五分 に落ち着く。
評価は“真実”ではなく、せいぜい 五割を少し傾けるヒント みたいなものだ。
最後は、自分で受けてみないと分からない。
評価は、本来、武器じゃない。
未来の誰かのための小さな地図だ。
でも地図を鞭にすると、
サービスは“人”から離れて、ただの防御になる。
私はそれを、もう「本物」と呼びたくない。
それでも。
星の数に晒されながら、怯えながら、
それでも誠実でいようとする人もいる。
その人の努力まで巻き込んで踏みつけるのは、たぶん違う。
評価とは何なんだろう。
正義なのか。記録なのか。取引なのか。
それとも、私たちの不安が作った“簡単な力”なのか。
そして私は次に、
星を下げる手の軽さより、
小さくても、嘘のない言葉を選びたい。
誰かを動かすための鞭ではなく、
誰かが迷わないための地図として。