Aは、一風変わっていた。自分で決めている“つもり”の毎日が、気づかない反応の連鎖でできている――無意識と意識の境目をめぐる小さな思考遊戯。
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Aは、一風変わっていた。
生活のほとんどすべてを、無意識で行動していたからだ。
やっていることは単純だった。
「何かに反応し、行動を起こす」
ただ、その繰り返し。
たとえば、食事のあとに歯を磨く。
歯を磨いたら水を飲む。
水を飲んだらスマホを見る。
スマホを見たら、仕事のことを思い出す。
思い出したら、ため息をつく。
ため息をついたら、妙に安心する。
Aはそれを“考えて”やっているように見えた。
けれど実際は、スイッチが押されているだけだった。
会話さえも同じだった。
「こう言われたら、こう返す」
「この空気なら、こう笑う」
「この沈黙なら、こう褒める」
パターンの数が多いので、誰も気づかなかった。
むしろ、人はAを「頭の回転が早い」と言った。
返しが速いことを、自由意志だと勘違いした。
Aはさらに、考えること自体も無意識で行っていた。
ただ、行動と違って“時間差”が生じることがある。
だから突然、関係のない考えが浮かぶ。
昨日の会話。
昔の失敗。
よく分からない不安。
根拠のない自信。
それらが、ふいに頭へ上がってくる。
Aはそれすらも、無意識に任せていた。
新しい考えも、新しい行動も、ただ浮かんだままに。
「思いついたからやる」
その言い方は、自由に見える。だが実際は、ただの発火だった。
もちろん、試験勉強も無意識で行っていた。
机に向かい、参考書を開き、線を引き、暗記し、解く。
その一連が、本人の“決意”の顔をして進んでいく。
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あるとき、ふとAの頭に浮かんできた。
「俺は、無意識で考えているんだな」
それに気づいた自分を、Aは少し誇らしく思った。
「気づけた」という事実が、賢さの証明に思えた。
だが、その誇らしささえも、続かなかった。
なぜなら、その“気づき”すら、無意識に浮かんだだけだったからだ。
気づいた。
気づいたことに気づいた。
気づいたことに気づいたことに気づいた。
階段のように意識が積み重なる。
だが、その階段を上がっているのが誰なのか、Aには分からない。
上がっている“つもり”だけが増えていく。
そして、その瞬間が来た。
使命を終えたAは、回収された。
研究の成果を検証した実験は、大成功に終わった。
結局のところ――
Aがロボットだということに、誰も気づかなかった。
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「思考=意識」だと仮定するなら、思考とは、決断ではなく確認に過ぎないのかもしれない。
すでに動き出している反応に、あとから名前をつけているだけ。
「私は選んだ」
そう思える言葉を、脳が後追いで生成しているだけ。
そして、その確認さえも反応パターンの一種だとしたら――
人間とロボットの境目は、思っているより薄いのかもしれない。
怖いのは「操られること」ではない。
操られているのに、自由だと感じられてしまうことだ。
では、あなたの今日の「選んだ」は、どこから来ただろう。
意志だろうか。習慣だろうか。環境だろうか。
それとも、気づいた瞬間さえ用意されている――そんな世界だろうか。
あなたが“今ここ”で感じた納得は、本当にあなたのものだろうか。