興行収入をめぐる思考遊戯。
カオリは、前回の記事のコメント欄を閉じたままにしていた。
開けば、数字は伸びる。
開けば、心は削れる。
だから、見ない。
見ないまま、次へ進む。
それがいちばん合理的だと、自分に言い聞かせていた。
その夜、メールが届いた。
件名は、「興行収入のヒット」。
本文は短い。
「カオリさん。次は、あなたが正しいまま伸びる方法だ。
映画の興行収入を書け。
数字は、反論を黙らせる。
あなたは“意見”ではなく、“分析”を売ればいい。
ただし、予想を入れろ。
予想は外れてもいい。
外れた予想は次の記事になる。
成功を祈っている。
匿名」
カオリは画面を見つめた。
正しいまま伸びる。
その言葉が、妙に優しかった。
性行為の話は、どうしても汚れが付く。
でも、映画の数字なら汚れない。
——そう思った。
翌日、カオリは興行収入のデータを集め始めた。
公開初週の推移。客層。話題量。予告の再生数。上映館数。
数字は、冷たくて、従順だった。
カオリは書いた。
「ヒットは偶然ではない」
「この作品が伸びた理由」
「落ちる作品に共通する“穴”」
そして最後に、予想を置いた。
「次に跳ねるのは、これだ」
公開すると、反応は早かった。
記事が“議論”を生んだ。
コメントは荒れたが、数字は笑っていた。
「当たってる」
「外れてる」
「でも面白い」
「だから読んだ」
カオリは少しだけ息をつけた。
今回は、汚れていない。
今回は、役に立っている。
今回は、正しい。
そう思った矢先、問い合わせフォームに一通入った。
「〇〇スタジオ広報の△△と申します。
貴ブログの記事、非常に興味深く拝見しました。
近日公開の作品について、分析記事をご検討いただけませんでしょうか」
カオリは読んで、すぐに分かった。
これは広告だ。
でも、広告だと言い切れない形をしている。
“分析記事”。
“数字で語る”。
“予想”。
全部、昨日までカオリがやっていたことだ。
返信は、ほんの数分で打てた。
「検討します」とだけ返した。
その瞬間から、カオリの頭は働き出した。
断れば、機会を捨てる。
受ければ、収益が安定する。
しかも、今回は広告じゃない。分析だ。
——いや、広告だ。
——でも、広告“みたい”な分析だ。
——みたい、という言葉は便利だ。
契約書は丁寧だった。
「過度な誇張は不要」
「事実に基づく表現」
「広告表記は任意」
任意。
その二文字が、いちばん怖かった。
カオリは結局、受けた。
理由は簡単だ。
「私は嘘を書かない」
そう言える形が、そこに用意されていたから。
記事は、よく出来た。
作品の魅力も、課題も、数字で整理した。
予想も置いた。
「これは伸びる。理由は、数字が言っている」
記事は伸びた。
今までより伸びた。
そして、収益も増えた。
——正しいまま、伸びた。
だが、コメント欄に一つだけ、静かな言葉が刺さった。
「読んでると、誰のための記事か分からなくなる。
映画のため?読者のため?それとも……自分のため?」
カオリは、そのコメントだけ削除できなかった。
削除しないことが正しさの証明だと思った。
——いや、削除できないだけだった。
翌日、別の読者が書いた。
「最近、記事が“うま過ぎる”。
うま過ぎる文章は、誰かの匂いがする」
カオリは背筋が冷えた。
匿名メールの匂い。
スタジオ広報の匂い。
数字の匂い。
そして何より、自分の正当化の匂い。
カオリはアクセス解析を見た。
数字は、確かに増えている。
なのに、胸の中で何かが減っていた。
たぶん、信頼だ。
もっと言えば、自分が自分を信じる力だ。
その夜、またメールが届いた。
件名は、「胡散臭いプロ」。
プレビューの一行だけが光っている。
「次は、信頼を取り戻す記事だ。」
カオリは笑いそうになった。
信頼を取り戻す。
そんなもの、記事一本で戻るなら、最初から壊れない。
なのに、指が動いた。
―――――
数字は、便利だ。
数字は、冷たい。
そして数字は、正しさのフリができる。
「私は事実を並べただけ」
「私は分析をしただけ」
「私は嘘を書いていない」
その言い訳が通用するうちは、まだ軽い。
怖いのは、言い訳を繰り返すうちに、
自分でも本当に“正しい”と思い込めることだ。
あなたが「分析」を書くとき、
その文章は、誰の利益を守っているのだろうか。
読者か、企業か。——それとも、正しいままでいたい自分自身か。
次回:「胡散臭いプロ」