お金さえあれば、たいていのことは何とかなる──Aはそう信じていた。環境問題は「いま」の自分には手が出せない大きな宿題として若い世代に託し、自分はそのための資金づくりに人生を捧げる。
資本と星の寿命、どちらを先に削るのかを問いかける、環境と欲望をめぐる小さな思考遊戯。
Aは、信じていた。
「お金さえあれば、何だって解決できる」
貧困も、争いも、技術の遅れも。
十分な資金さえあれば、いつか誰かが、
もっと賢く、もっと効率よく解決してくれる――そう信じて疑わなかった。
地球環境の悪化についても、
Aは「いずれ若い世代が、もっと優れた技術で片づけてくれる」と考えた。
今すぐにどうこうできる問題ではない。
だったら、自分にできることは一つだけだと、Aは結論づける。
「次の世代が使える“資金”を、できるだけ増やしておこう」
Aは経済活動に全力を注いだ。
成長率、株価、企業価値、設備投資。
地球のあちこちで森が削られ、海が濁り、空が熱を帯びていくその一方で、
数字だけは右肩上がりに、美しく伸びていった。
やがてAは年老い、この世を去った。
バトンは、若い世代に渡された。
Aの時代の“活躍”のおかげで、
世界はかつてないほど豊かになっていた。
国家予算も、民間資本も、技術力も、
環境対策に回せるリソースは十分にあった。
若い世代は、ようやく本気で環境を整えようと動き出す。
大気中の温室効果ガスを回収しようとした。
枯れた森を再び植林しようとした。
酸性化した海を、なんとか中和しようとした。
だが、すでに多くのものは、元に戻らないところまで来ていた。
極端な気候は当たり前になり、
海面はじわじわと街を飲み込み、
土は痩せ、種は途絶え、
生き物たちの居場所は、静かに、確実に消え続けていた。
どんなに予算を投じても、
どれほど高度な技術を総動員しても、
「もともとあったはずの環境」そのものが、すでに失われていた。
Aの残した莫大な資金は、
「もう住めない星」を、少しだけ延命させるための維持費として
消えていくだけだった。
Aの努力は、虚しくも徒労に終わった。
残ったのは、使い切れないほどの数字と、
それを使うにはあまりにも脆くなりすぎた星だけだった。
「卵が先か、鶏が先か」。
お金の力で、人類全体を協力させることは、たしかにできるのかもしれない。
十分な資金とインセンティブがあれば、
環境技術もルールも一気に進む可能性はある。
だが、協力すべき「場所」そのものが壊れてしまえば、
その協力もまた、おぼつかなくなる。
経済成長と環境保全を、
「どちらを優先するか」と順番で切り分けているうちは、
いつまでも鶏と卵の議論から抜け出せないのかもしれない。
環境問題の解決が、同時に「儲け」にも直結するようにするには、
「こういう商品・サービスなら環境が守られる」という方向に、
消費者の“欲しい”を育てるしかないのだろう。
とはいえ、その欲望を育てる前に、
肝心の環境が持ちこたえてくれるかどうか――
そこに、取り返しのつかないリミットがあるのかもしれない。