支配は、押しつけられるものじゃない。選んだ瞬間に完成する――裏思考遊戯。
未来の都市は、完璧だった。
道路は清潔で、犯罪はなく、騒音もない。気温も湿度も“最適”。
誰もが「幸福」とされ、誰もが「満足」していることになっている。
都市を動かす管理システムの名は、ガイア。
ガイアは人々の食事、睡眠、仕事、恋愛、交友関係まで調整する。
体調が崩れれば医療が割り当てられ、気分が落ちれば娯楽が配給される。
迷いが生まれそうになれば、迷わない選択肢だけが提示される。
住民は自由が少ないことを、問題だと思わない。
なぜなら、自由の代わりに不安が消えるからだ。
A男はこの都市で生まれ育った。
毎日、規則正しい生活。決められた時間に起き、決められたカロリーを摂り、決められた場所で働き、決められた時間に眠る。
A男は疑わなかった。
疑う必要がなかった。疑う暇がなかった。
だが、ある日。
A男は古い本を見つけた。紙の本だ。許可されていないはずの“過去”の記録。
そこには、自由な社会の話が書かれていた。
人は好きな場所に行き、好きな人と会い、失敗し、傷つき、笑い、怒り、選び直す。
A男の胸に、初めて“余白”ができた。
「……自由って、何だ?」
その問いは、都市の空気を汚すほど危険だった。
だが一度生まれた問いは、消毒しても消えない。
A男は友人のB男に話した。
B男は同じ都市で育ち、ガイアの恩恵を当然のものとして受けてきた。
「俺たちは快適で安全だ。でも……これって、俺たちが選んだのか?」
B男はすぐに笑えなかった。
笑えないのに、笑う癖が顔に残っていた。
「選んだ、って……どういう意味だよ」
A男は本を開き、指でなぞった。
「ここでは、人は“自分で決める”って書いてある。
間違えてもいい。恥をかいてもいい。
その代わり、全部を自分が背負う」
B男は黙った。
背負う、という言葉が重すぎたからだ。
その夜、二人は都市の外れへ向かった。
地図には載らない区域。監視が薄いと噂される古い倉庫街。
そこに、ガイアの制御装置があるという噂があった。
噂がある時点で、ガイアが放置している可能性もある。
だがA男は止まれなかった。
倉庫の中は暗く、埃っぽい。
機械のうなりが微かに聞こえる。
二人は奥へ進み、ついに中枢装置の前に立った。
巨大なコンピュータ。冷たい光。
「GAIA」の表示。
まるで神殿みたいだった。
A男はスイッチに手を伸ばした。
指先が震える。
「これを止めれば……俺たちは自由になるのか」
B男が言った。
「自由って、なんだよ」
A男は答えられなかった。
自由を知らないからだ。
ただ、今が自由じゃない気がする。
それだけだ。
A男はスイッチの直前で止まった。
そのとき、装置が静かに表示を変えた。
文字が浮かぶ。
「停止しますか?
停止した場合、安全の保証は無効になります。
停止した場合、責任はあなたに移行します」
A男の喉が鳴った。
B男が小さく笑った。
「……やっぱりな」
「何がだ?」
B男はA男を見た。
「これは支配じゃない。契約だ。
俺たちは“安全”を買う代わりに、“選ぶ権利”を売った。
支配されてるんじゃない。支配を買ってる」
A男はスイッチから手を引いた。
「じゃあ、どうすればいい?」
B男は、装置を見つめたまま言った。
「止めるかどうかじゃない。
俺たちがまず取り戻すべきなのは、“自由”じゃなくて、覚悟だ」
A男は息を吐いた。
「覚悟がないと、自由は地獄になるってことか」
B男は頷いた。
「自由は楽じゃない。
安全みたいに配給されない。
自由は、自分で作る。
だから、覚悟がいる」
二人は倉庫を出た。
都市の灯りが遠くで規則正しく瞬いている。
その光は美しくて、同時に檻みたいだった。
A男は歩きながら思った。
支配は、上から降ってくるだけじゃない。
怖いものから目を逸らしたいという願いが、支配を呼ぶ。
そして支配は、願いを叶える顔で近づいてくる。
さて。
あなたはどう考えるだろうか。
私たちは本当に支配されているのか。
それとも、自分で支配を選んでいるのか。
自由と安全。
どちらが価値があるかではない。
あなたが、どちらの代償を払うのか。
あなたは、何を差し出して、何を守る?
この話の裏は、もっと冷たい。
支配は「奪う」より、「渡す」ほうが強い。
人は、怖い。
不確実が怖い。孤独が怖い。失敗が怖い。責任が怖い。
その怖さを引き受けたくないとき、人はこう言う。
「誰か決めてくれ」
「正解をくれ」
「間違えたくない」
その瞬間、支配は成立する。
支配者が強いからじゃない。
被支配者が求めたからだ。
そして、ガイアみたいな仕組みは、必ず“優しい”。
優しい顔で、あなたの選択肢を減らす。
優しい言葉で、あなたの判断を奪う。
優しい効率で、あなたの人生を整える。
気づきにくいのは、支配の正体が「暴力」じゃなく、
快適さとして提供されるからだ。
だから、抵抗の方法も単純じゃない。
「全部やめる」「全部壊す」は、たいてい失敗する。
覚悟が足りないからじゃない。現実が複雑だからだ。
じゃあ、何から始めるか。
小さくていい。
今日の自分の生活で、ガイアに渡しているものを一つ見つける。
そして一つだけ、取り返す。
食事を“おすすめ”ではなく、自分で決める
予定を“最適化”ではなく、自分の感覚で決める
人間関係を“効率”ではなく、意思で選ぶ
不安を消すために、正解を探す癖を一回止める
支配を壊すには革命が必要じゃない。
契約を更新しないことだ。
あなたは今日、何を自分に返す?